尚真王の治世

1477年尚真が即位する。尚真の時代に大きな改革が行われた。従来地方の有力者であった按司首里に集住させることにより、中央集権体制を構築した。按司尚真王の時代以降、琉球王府の官僚機構として機能するようになる。世俗王権を強化する官僚機構の整備と並行して宗教的権威も整備が進められる。聞得大君を頂点とする祭祀集団も整備される。聖俗両面で強化された王権を背景に琉球の建て直しに着手することになる。1500年頃には奄美諸島先島諸島を併合する。
しかし同時に琉球のたそがれも迫っていた。ポルトガルがマラッカを占拠する。これにより琉球の中継貿易は大きく制約されることになる。マラッカをポルトガルに抑えられることによりインド洋に出るルートを失ったのである。1522年には与那国島を併合するなど、内実における琉球の充実は、海域アジアにおける琉球の没落と対応していたのである。
琉球の歴史に大きな転機をもたらした出来事も尚真王の時代に起こっている。1480年、室町幕府の奉行人布施英基が薩摩守護の島津武久に一つの依頼を行った。途絶していた琉球との関係の復活の仲介交渉を島津氏に依頼したのである。島津氏が琉球に影響力を及ぼすようになったのである。