沖縄の歴史を問う意味。

言うまでもなく現在の状態は過去から連続しているのではない。
作家の船戸与一氏は次のように言う。

民族という概念はフランス革命によって産み落とされた近代の産物である。これによって王制が打破されるまで民族とは何かという問いが真剣に検討されたことはなかったのだ。したがって近代史の流れは『民族→民族意識民族主義』という順列で理解されてきた。
しかし、あらためて問いなおさなければならない。民族というものが先験的(ア・プリオリ)に存在するのか?と。ソ連邦崩壊後の世界の混迷を眺めていると、わたしには従来の認識法は逆だったのではないかと思えるのだ。『民族主義民族意識→民族』すなわち民族主義というスローガンが民族とは何かを勝手に規定してきた。

船戸氏が言いたいのは、概ね次のようなことだろう。近代史における「民族主義」の成立とは、「民族」という集団がア・プリオリにあり、その「民族」には「自然な感情」として「民族意識」が備わる。それを純化したのが「民族主義」だと。しかし実際には「民族主義」というスローガンがあり、それを特定の集団に注入することでその集団に「民族意識」が生じる。その「民族意識」が「民族」という共同幻想を生み出すのだ。日本にいるとこの図式は見えにくいが、現在進行中のコソボにおける「セルビア系」と「アルバニア系」という対立軸は、明らかに実体的な「民族」があるのではなく、「民族主義」に規定された「民族」であることは容易に想像できよう。コンゴの「ツチ族」と「フツ族」の対立軸も「民族主義」というスローガンに煽られた果ての殺戮であった。「愛国心」というのは「民族主義」というスローガンそのものなのだ。現在の「日本人」というのが近代に入って作られた幻想共同体であるのは、琉球処分蝦夷地上地の歴史的経緯を見れば明らかだろう。戦前の大日本帝国においては朝鮮半島の人々も「日本人」だったのだ。大日本帝国の中でも特に朝鮮総督府は、高天ケ原とは朝鮮半島のことであり、皇室の先祖が朝鮮半島から日本列島にやってきて日本を統治する歴史が「天孫降臨」から「神武東征」の歴史なのだ、と主張した。その「神話」によって「韓国併合」とそれに続く植民地支配を正当化したのである。しかし世の中にはそれでは我慢できない人々がいる。優生学の影響を受けた内務省の官僚は「日本人」の「純潔性」を重視した。その両者が対抗し、共存しながら大日本帝国の植民地朝鮮に対する「包摂と排除」という相矛盾する政策を支えてきたのだ。そして「包摂と排除」の論理は「如意棒の論理」と言われるようなご都合主義の距離を「日本人」と「朝鮮人」の間に設定したのである。つまり義務の問題になると「如意棒」は短くなり、一方権利の問題になると「如意棒」は無限大に大きくなる。
この「包摂と排除」の論理を検討し、大日本帝国が「単一民族国家」ではなく、「多民族国家」であったと主張した小熊英二氏は次のように言う。

往々にして人は、現在の状態が無限の過去から連続していると考えがちだ。しかし冷静に考えてみれば、植民地の独立などを経て、地球上のすみずみまでを近代型の国民国家が被ったのは、じつは人間の一世代にも満たぬここ三〇年から四〇年の出来事にすぎない。
『〈日本人〉の境界』

これは船戸氏の「民族というものが先験的(ア・プリオリ)に存在するのか?」という問い掛けと共通する。そして今我々が「日本」と意識している領域もじつはここ30年の出来事なのだ。戦前は「北海道」と言えば千島列島やサハリン南部も入っていた。サハリンでソ連と国境を接していたのだ。日本は「島国」ではなかった。千島列島とサハリン南部を失うと同時に日本は奄美諸島沖縄諸島を失ったのだ。沖縄が日本に再び編入されたのは1972年のことである。沖縄には「本土復帰」という選択肢の他に「独立」という選択肢もあったのだ。沖縄は「本土復帰」という道を選んだ。沖縄はア・プリオリに日本であったとは言えない。沖縄が現在「日本」に所属しているのは「必然」ではなく、多分に「偶然」なのだ。それが琉球の歴史から導き出される一つの見方である。