無関係接続

terracao氏のブクマより。

だめな譲歩レトリックには大別して2タイプあって、「無関係接続」と「論理的矛盾」があるとおもってる、最近

示唆に富むブクマだ。譲歩構文とは「Aという見方もある。しかしBだ」という構文で、単に自説を一方的に述べるだけではなく、対立する意見にも目配りしていることを示せる点で、説得性が増す。しかし使い方を誤ると論理的思考が欠落しているようにも見えるもろ刃の剣である。
今回terracao氏のブクマコメントに従って「無関係接続」と「論理的矛盾」を検討しよう。
「無関係接続」とは、本来逆説的な関係に無いものを「しかし」で結んで譲歩構文を作る例。典型的なのが「今回の事故は痛ましい。しかし私はかつて危ない操船をする漁船を見た」というもの。今回の清徳丸とあたごの衝突事件には自分が見た事例は無関係だ。自分が見たことがある危険な操船を行うマナーの悪い船の存在は確かに問題で、それはそれで論じられるべき問題ではあろうが、今回の事故で清徳丸にも責任があることの傍証にはならない。清徳丸にも責任があることを立証したければ、清徳丸の操船の詳細を提示しなければ説得力はない。今回自衛隊が全面的に非を認めているのであるから、自衛隊の方に多くの責任があることは動かせないだろう。
もう一つ「無関係接続」の例。譲歩構文だけとは限らない。本来関係のない問題を絡めるのは基本的に「無関係接続」の範疇に入るだろう。「今回の事故は痛ましい。だからイージス艦は不要だ」。私は自分の脳内では教条的な左翼で原理主義的な護憲論者である、と妄想している(笑)。この問題に絡めて自衛隊そのものを非難したい気持ちはものすごく分かる。だからこそそういう物言いが鼻に付くのだ。イージス艦の必要性の問題は今回の事故とは何の関係もない。今回の事故があろうとなかろうとイージス艦の配備の問題は論じなければならない。今回の事故の問題を論じる時に関係のないイージス艦配備の是非を持ち込むのは、この事故を政治利用する行為と批判されるべきであろう。さらには自衛隊の存在意義にまで議論を広げるのはどう考えてもフェアではないだろう。自衛隊に対する批判が度を越している、と考えるのであれば、事故をイージス艦の配備の是非やさらには自衛隊の存在意義まで、本来無関係な問題を無理やりに接続して議論を広げる「無関係接続」そのものを批判するべきであって、漁船側の責任を論っても、自衛隊の誇りを維持することには全くつながらない。
「無関係接続」がなぜ起こるのか、と言えばおそらく理由は二つあるだろう。一つは思考力が足りないため、その二つが無関係であることが理解できないこと。もう一つはだまそうという意思があること。思考力が足りないのか、人格が卑しいのかのどちらかなのだ。というわけで私も気をつけたい。
今回ネットウヨク氏のコメントをいただいて少し考えてみた。建設的且つ有益な論点を提示してくださったネットウヨク氏には感謝したい。