なぜ私はアイヌ問題を書き始めたか

私がアイヌ問題を書き始めたのは、ある左派ブロガーのチベット問題に関する記述に疑問を感じたからである。その左派ブロガーはチベットは中国が入ってくる以前のチベット神権政治が行なわれた抑圧国家であり、中国によるチベット支配はチベットに恩恵をもたらした、と書いていた。さらにあちらこちらのコメント欄でも同じ主張を繰り返していた。左派ブロガーとして名を知られた人なので、私としてはそれを左派の論理で批判する必要を感じ、アイヌ問題を論じ始めたのである。ただいささか陰謀論に堕したその議論は説得性を欠いており、結果として広まらなかったが、アイヌ問題に関する関心の強さを感じ、チベット問題を考える視座を提供するためにアイヌ問題を論じ続けた。もはやチベット問題とは関係がなくなったが、人権侵害に対する戦いは、どちらか一方に関われば、もう一方がおろそかになるのではなく、むしろ相乗効果をもたらすものだ。もちろん緊急性において差が出ることは事実であり、アイヌ問題よりもチベット問題に関わる事のほうが優先される事自体は私は否定しない。私は私にできることをするしかない。チベット問題に関して素人の私にできることとしては、少数民族問題を考える視座を提供することである。私は少数民族問題を考える視座を提供するために少数民族問題を論じているのだ。