北条時輔関係史料 文永3年(1266)3月3日「六波羅召文案」『青方文書』(『鎌遺』9510号)

かなり時間が経っているが、問状に対し、こちらは召文。訴人(原告)または論人(被告)に対して出頭を要請する文書で「召文御教書」とよばれた。この文書の場合、論人の白魚弘高に対して出されているので論人に出頭を求めているのである。青方能高の訴状に対応したものであろう。
本文。

肥前国御家人青方太郎吉高申、被抑留所従等由事、就請文、重訴状具書如此。訴陳参差之間、暗難是非、不日企上洛、可被明申之状如件
 文永三年三月三日 散位在判
          左近将監在判
白魚弥二郎殿

読み下し。

肥前国御家人青方太郎能高が申す、所従等を抑留せらる由の事、請文に就いて、重訴状・具書此の如し。訴陳参差之間、暗くして是非しがたし、不日上洛を企て、明らめ申さるべき之状件の如し。
 文永三年三月三日 散位在判
          左近将監在判
白魚弥二郎殿

現代語訳。

肥前国御家人青方太郎能高が申していた、所従等が抑留された事、請文について、重訴状と具書は此のようである。訴陳を3回やりとりしたが、よくわからないので結論を出せない。近々上洛をして、はっきりさせるようにとのことである。
 文永三年三月三日 散位在判
          左近将監在判
白魚弥二郎殿

「訴陳参差」というのは、いわゆる「三問三答」のことで、訴状を提出するとそれへの回答である陳状を提出する。鎌倉幕府では訴状と陳状のやりとりは3度まで認められた。最初の訴状を本解状・初問状といい、二度目を二問状、三度目を三問状という。二度目と三度目をまとめて重訴状といい、二答状・三答状をまとめて重陳状という。