北条時輔関係史料番外 「東大寺申状案」 (『鎌倉遺文』9745号文書)

東大寺領茜部荘の年貢をめぐって地頭代伊藤行村ともめている東大寺が地頭請の停止を六波羅探題に訴え出て泥沼の法廷闘争。前回は茜部荘の雑掌が六波羅に提出した文書。
今回は東大寺六波羅探題に提出した文書。
本文。

東大寺
欲早被裁許、停止寺領美濃国茜部庄地頭代左衛門尉行村自由押領、庄務可為当寺寺家進退由并【依】犯用百口学生供料絹等、被行【行】村於重科子細状。
副進
雑掌解一通
右、当庄重色之由緒、請所非據之子細、自去年度度令觸申畢、而地頭代捧謀陳、尚押領之間、雑掌重訴状如此。於請所之条者、衆徒自本不存知之、依地頭之濫妨、庄家不合期之余、為寺務一旦之計、有宛行之子細歟。然而其後数代止請所之儀、寺家之雑掌庄務畢。然者、請所之進退、今更雖不及訴訟、近年又依宛行之、地頭代自由押領之間、所訴申也。凡当寺之継法命、偏此供之力也。学侶之挑恵燈、併当庄之故也。而為行村被押領一庄土貢、併犯用之間、去年之供料于今未下之条、先規未存、寺門之嘆何事如之哉。若不被止此濫妨者、一寺之滅亡、不可待言。早停止地頭代自由之庄務、可為寺家進止之由、欲被裁許、其上依犯用百口学生供料絹等、被處行村於重科者、彌誇武家之善政、将継当寺之恵命矣
 文永四年七月 日

読み下し

東大寺申す
早く、寺領美濃国茜部庄の地頭代左衛門尉行村の自由押領を停止し、庄務は寺家の進退たるべきの由并びに百口学生供料の絹等を犯用するにより、行村を重科に行われる子細を裁許せられんことを欲すの状。
副え進む
雑掌の解一通
右、当庄の重色の由緒、請所の非據の子細、去年より度度觸れ申さしめ畢。而るに地頭代謀の陳を捧げ、なお押領の間、雑掌の重ねての訴状は此の如し。請所の条に於ては、衆徒本よりこれを存知せず。地頭の濫妨により、庄家期に合わせずの余、寺務一旦の計として、宛て行うの子細ある歟。然りて其後数代は請所の儀を止め、寺家の雑掌が庄務し畢。然れば、請所の進退、今更訴訟に及ばずといえども、近年又これを宛て行うにより、地頭代自由押領の間、訴え申すところ也。凡そ当寺之法命を継ぐは、偏えに此の供の力也。学侶の恵燈に挑むは、併せて当庄の故也。しかるに行村のために一庄の土貢を押領せられ、併せて犯用の間、去年の供料は今にいまだ下れずの条、先規いまだ存せず。寺門の嘆き何事これにしかず哉。若し此濫妨を止められずんば、一寺の滅亡、言を待つべからず。早く地頭代の自由の庄務を停止し、寺家進止たるべきの由、裁許せられんを欲し。其の上に百口学生供料の絹等を犯用するにより、行村を重科に処せられれば、いよいよ武家の善政を誇り、まさに当寺之恵命を継ぐべけんや
 文永四年七月 日

要するに地頭代伊藤行村が百口学生供料の絹や綿を納めないことについて、行村を処分し、地頭請を停止させろ、と要求しているのである。
ここでしばしば出てくる「自由」について。中世においては「自由」は「何ら拘束されたり妨げられたりすることなく、思うままにふるまえる状態にあること」「守るべき取決めや世間の常識を意に介さず、自分本位に好き勝手にふるまうさまであること」「相手に対する自らの行為を、身勝手な不躾なものであると恐縮する気持ちを表わすのに用いる」「仏教において、解脱し、何ものにもとらわれない悟りの境地をいう」(『時代別国語大辞典 室町時代編』)ということであるが、ここでは二番目の「自分本位に好き勝手にふるまうさま」のことであろう。中世文書では概ねこの意味で使う。仏教的な解脱、あるいは「拘束されたり妨げられたりすることなく、思うままにふるまえる」という意味に使われるようになるのは中世後期であって、特に鎌倉時代の訴訟文書では概ね「自由」というのは「好き勝手」というマイナスイメージで使われることが多い。そのことからフリーダムやリバティーの訳語として「自由」を当てるのは必ずしも適当とはいえない、という見解もある。