北条時輔関係資料番外編 「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」(『鎌倉遺文』10422号文書)「美濃茜部荘代官伊藤行村書状」(『鎌倉遺文』10423号文書)

東大寺に納めるべき年貢を納めていない、と東大寺から六波羅探題に訴えられ、出頭要請を無視して請文を出すも「自由請文」と六波羅探題から言われ、陳状を出しても何か無視される、という決定的についていない伊藤行村。10422号文書には「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」が収められており、七度目らしい。
とりあえず「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」から。

(端裏書)「第七度」
進上茜部庄去年御年貢進上之事

一 御絹拾疋代銭拾六貫文皆進上
一 御綿四拾両代銭八貫四百文皆進上
一 延絹六疋代銭拾貳貫文皆進上、但四丈別壹貫文
右、文永五年分、皆進上如件
文永六年四月十二日
            御代官(花押)

三つ目の「延絹六疋代」というのがおそらく延滞料金というか、重加算税というか、まあ重加算年貢なのだろう。そしてこの「送状」と同じ日付で伊藤行村の書状が出されている。
本文

先度【進上候】御年貢を、六疋延御絹にかきめされて候。延ハたうしハ四丈別に八百なんと仕候へとも、一貫つゝのせ候を申上候。先度六疋をハ、この御返抄ニてかき入させられ候て、給ハるへく候。そう御返抄を一枚に給ハり候へく候。恐々
文永六年四月十二日

この編の事情を調べるには過去の「送状」をみておく必要があるだろう。とりあえず10422号文書に関連する文書を挙げて置きたい。
10306号文書「美濃茜部荘年貢絹綿送状」
10352号文書「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」
10367号文書「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」
10399号文書「美濃茜部荘年貢絹綿代銭送状」
ここまでは「延」以下の話がないので、裁判の進展に伴って行村側が付け加えざるを得なかったのだろう。地頭代にとってかなり不利な条件にあることがわかる。