今回の問題について

今のところ一番新しい、まとまったまとめであるApemanさんのこれ(「いまや真の賭け金が何であるかは明白となりました - Apeman’s diary」)。
もはや「追記」でお茶を濁す問題でもなさそうだが、かと言って私がこの問題について能動的に何か言えるほど、経緯を知っているわけではない。私の印象を述べておけば、HALTAN氏に関してはそういう見方はあるかな、と。そして「一発芸を披露して去ってゆくだけの人々」にも同様の人々がいる、ということか。私個人の意見だがSokalian氏は少し色合いが違うかな、と思っている。氏が無自覚にある特定のポジションを占めているのは事実だし、それは批判されるべき謂われもないとは言わないが、私はこれは討論で近づいていけるような気がしている。私との因縁があったから余計にそう思うのかもしれないが。fuku33氏に関しては私はかなり前から同じブログの常連で、そこの管理人の方がfuku33氏と私をしばしば並べて引用してくださった縁で、私個人は何となくfuku33氏に共感を抱いていたし、他人のような気がしなかった。Sokalian氏に関しては直近のことだが、大げんかをして、その過程で私は氏を氏なりの正義感のある人だという気がして、私個人はこのことで親しみを一方的に感じている。HALTAN氏に関しては私が一方的にdisったのである意味申し訳ないな、という気分になっている。
Apeman氏の今回のエントリで私が分かったのはHALTAN氏のどこに私自身が違和感を抱いていたのか、ということである。私はもちろんApeman氏とはHALTAN氏と関わってきた度合いは小さいので、今回のApeman氏のHALTAN氏評が正しいのかどうかはわからない、としか言えない。ただ今のところ一番腑に落ちたHALTAN氏評であった。fuku33氏批判とか、トリアージとか、ホロコーストとか、と「ふんだくれ」の問題と少し問題が拡散しすぎて私には皆目分からなかったのだ。私は基本的に「階級闘争史観」の問題でしかHALTAN氏に関わってこなかったし、他のことにはそもそも口出しできる状況にはなかった。とりあえず問題点が整理された、ということで、考える出発点にしたい。
追記
ちなみに「一発芸を披露して去ってゆくだけの人々」というわけではないけど、一発芸系の人の中にも結構興味深い人はいたりする。例えば自分では何も考えていない「一般人」という芸を披露してくれていたけど、結構すごい行動力であちらこちらにブクマしたり、コメント寄せたりしてがんばっている人もいるな、と。そのブクマとコメントをずっとみていくと、典型的な特定の傾向を持つ人なのだ。私が「ニューカマー」という言葉で念頭に置いていたのは、むしろそういう「一発芸を披露して去ってゆくだけのふりしつつ、ポジショントークに励む人々」なわけで、Sokalian氏は自分では一発芸を披露して去ってゆくだけの人と同列のつもりかもしれないが、私の中では、そしておそらく他の人からも違う、とみられていると思う。そしてそのことをSokalian氏は誇りに思っていい、と私は思う。
追記
Apeman氏のこのエントリでそもそも何が問題とされてきたのか、というのは明らかになった。いろいろ論点が分散してきたが、少なくともApeman氏はここに論点をしぼってきた、ということだ。Sokalian氏がどこに論点をしぼろうとしているのか、が次の問題になる。Sokalian氏の問題意識を私なりに整理すると、合理性そのものを「ホロコースト」と関連付けられた、ということになるだろうか。少なくとも氏がこだわっているのが、トリアージホロコーストの関係を云々することにあるように思われる。Sokalian氏とApeman氏やhokusyu氏の議論をスムーズに進めるために、とりあえずはHALTAN氏やfuku33氏から外れてみてはどうだろうか。要所要所でHALTAN氏やfuku33氏に論及されることがSokalian氏とApeman氏・hokusyu氏と議論を複雑にしているような気がする。とりあえずは意固地にならずに論点の整理をすることが必要なのだろう。私も何を揉めているのか、よく分からなかったから。
追記
Solkalian氏の論点も整理された(「「論法の同型性」論法の危うさ - 吾輩は馬鹿である」)。