陸奥守

ここのところ仕事が詰まっていてゆっくりする暇はない。『鎌倉遺文』を繙く暇もない。トリアージホロコーストはもう追っかけられない。かなりギンギンの議論がなされている模様。当事者にとって実りのある議論になりますように。
私は誰からも相手にされないネタをひねくる。
北条氏には結構「陸奥守」が多い。私が中学生の頃、新田次郎の『新田義貞』を読んだ事がある。その時に「大仏貞直」という人物が気になった。読みが「おさらぎ」だったので非常に気になったのだ。極楽寺坂で新田義貞軍と対峙し、大館宗氏を破るものの、稲村ケ崎から奇襲を受け、戦死する人物である。笠置山に立てこもった後醍醐天皇を破ったのも大仏貞直である。彼が「陸奥守」であることが非常に気になっていた。
最近その思いが別の意味で気になった。北条氏において陸奥守という官職は特定の意味がある。北条義時陸奥守になっているが、北条時輔がらみでは北条時茂が任ぜられている。兄で六台執権だった長時が早死にし、長時の遺児の義宗はまだ若かったので、時茂が極楽寺流を代表する立場にあった。陸奥守とはそういう意味合いを持っていたのではないか、という気がする。
陸奥国得宗の勢力下にあった。津軽半島得宗被官の安藤氏を配置し、「蝦夷管領」として「蝦夷地」に対峙させた。いわば「日本国」の最前線であったわけだ。
出羽国の象徴的な官職であった「秋田城介」は安達氏が世襲していた。安達氏は北条時頼時宗外戚となるなど得宗と近い関係にあった。
陸奥守と北条氏の関係を少し考えてみたい。何か意味がありそうだったら、原稿にしよう。