「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」4追加法286

引き続き「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」を読んでいく。この法令は追加法(『中世法制史料集 第一巻 鎌倉幕府法』第二章「追加法」)の282〜294に分類されるひとかたまりの法令である。建長5(1253)年10月1日に出されたこの法令には「撫民」という言葉が多く含まれる法令で、対象が地頭ではなく、荘園の現地で実際に検断権(警察・刑事裁判権)を行使する地頭代に宛てられているのが特徴である。地頭代の恣意的な権力運用を制限しようという意図であると考えられる。
今回は追加法286をみていく。
本文

一 牛馬盗人々勾引等事
右、罪科是重。雖可令処重科、就寛宥之儀、可召禁其身許也。但所犯及両三度者、妻子不可遁其科。
次人勾引事、於親子兄弟等者、非人勾引之儀、不可懸其咎焉。

読み下しと解析。

一 牛馬盗人々勾引等事
A 右、罪科これ重し。重科に処せしむべしといえども、寛宥の儀につきて、その身ばかりを召し禁ずべきなり。但し所犯両三度に及ばば、妻子その科を遁がるべからず。
B 次に人勾引の事、親子・兄弟等においては、人勾引の儀にあらず。その咎を懸くべからず。

これは牛馬盗人と人勾引(誘拐)の問題を一つの条文にまとめている点が特異である。Aの最初の「罪科これ重し」の「これ」が何を指すのか、よくわからない。「牛馬盗人」だけなのか、あるいは「牛馬盗人」と「人勾引」の両方を受けるのか。ただAの部分に「牛馬盗人」だけを指す、という確証がないため、ここでは差し当たり「これ」は「牛馬盗人」と「人勾引」の双方を含むものと考える。
Aで牛馬を盗んだり、人を誘拐したりすることは重罪である、という考えが示される。問題は縁坐規定である。初犯であれば「寛宥の儀」にしたがって本人だけの責任が問われる。しかし再犯の場合には妻子にも累が及ぶようになっている。
Bでは牛馬とは異なる「人」の場合を措定している。「牛馬」の場合と違い、「人勾引」が何でも悪、という訳ではなく、当然親子兄弟を「勾引」する場合には咎を懸けてはならない、という文が入れられているのは、ここまでの法令を踏まえると、別に「人勾引」の罪に問われる状況でもないのに「人勾引」と言いがかりをつけて犯罪に問うて下人化しようという動きがあったのだろうか。己に与えられた権限を濫用する輩に対し、鎌倉幕府も苦慮していたことがうかがわれる。こういう「公私混同」が公然と行われると、権力としての正当性が問われることになり、権力の存立基盤にも響いてくるのである。単なる暴力機構とは異なる国家権力の意味合いが、この一連の法令に表されている、と私は考えている。