「諸国郡郷庄園地頭代、且令存知、且可致沙汰条々」6 追加法288

今日は九州から帰ってきただけ。運動会の集中日とやらで、塾の仕事は休み。
というわけで追加法の続き。追加法288。
本文。

一 諍論事
右、土民之習、雖令拏擢、於無其疵者、不可処罪科。而遼遠之地頭猛狂之輩、或称闘諍、或号打擲、致民煩云々。於自今以後者、専致撫民之計、宜止無道沙汰矣。

読み下しと解析。

一 諍論事
A 右、土民の習い、拏擢せしむるといえども、その疵なきにおいては、罪科に処すべからず。
B しかるに遼遠の地頭猛狂の輩、或いは闘諍と称し、或いは打擲と号して、民の煩を致すと云々。
C 自今以後においては、専ら撫民の計を致し、宜しく無道の沙汰を止むべし。

まずAの「拏擢」(だてき)は「拏獲」(だかく、つかみあうこと)の誤りか、と『中世政治社会思想』の頭注に書いてあるので、ここではそれに従う。従って、土民がつかみあいをした、としても、傷がなければ罪に問うてはいけない、ということである。式目13条には「殴人咎事」という条文があり、そこでは「殴人之科甚以不軽」とあり、それとは対照的であるが、御家人に対して出された式目と、御家人による庶民への抑圧を規制するこの追加法の違いである。
Bでは「遼遠の地頭猛狂の輩」が「闘諍」とか「打擲」とか言いがかりをつけて「民の煩い」をする、ということが指摘されている。『鎌倉遺文』20476号文書「鎮西下知状」をみると、谷山郡司資忠と大隅式部孫五郎宗久(島津氏一門の山田宗久のことか?)の間の相論では、地頭の宗久がささいな犯罪を種に庶民を自分の奴隷にしたり、罰金を取り立てたりする事例が記録されている。その中で面白いのが「悪口事」である。「悪口」は式目12条で禁止されているが、それを盾に取った宗久は資忠が「あれが」と言ったことを鎮西探題北条実政に訴えているが、実政は「地頭もまた阿礼賀の正字を知らずと云々」として宗久の訴えを却下している。この事例も地頭がしばしば些細な科を捉えて訴える事が問題視されていると言えるだろう。
Cでは幕府の方針である。「撫民」を行い、「無道」の沙汰を止めなければならない、と定めている。「撫民」という言葉が押し出されていることに注目されており、「撫民」という言葉についてはもっと考えられてもいいだろう。