歴史叙述と歴史的現実

この区別がつかない人が多く、例えば「歴史は、物事を記録しておくという歴史文化を持つ民族にしかつくれないわけで、歴史文化をもたなかったアイヌの歴史を認めろというのは変。」というような、歴史学の基本に無知なな人がいて困る。というよりも、自分が無知であることに無自覚な人がまじで困る。これからアイヌの歴史をするわけだが、私は九州まで「変」なことを言いに行く(嘲)。
一応今日は経営学部と社会学の学生に歴史学の入門講義をしにいくので、ここでも「歴史的現実」と「歴史叙述」について書き残しておく。
「歴史的現実」とは「人間社会において生起するさまざまな事実」のことであり、「歴史叙述」とは「幾重にも限定を受けた文字資料を題材として、ある史観に基づいて過去を再構築する試み」である。一口に「歴史」と言ってもその二つがあるのであり、y_arim氏が「HistorieとGeschichteの区別を」とツッコミを入れているのはこのことに属する。
アイヌの「歴史的現実」は存在するわけであり、「アイヌの歴史」という場合、例えばアイヌに起こった様々な「歴史的現実」も「歴史は、物事を記録しておくという歴史文化を持つ民族にしかつくれない」という見方に従えば、アイヌには「歴史的現実」すらない、ということになる。もちろんそんなわけはないのであって、この発言は「歴史」という言葉を自分なりに勝手に解釈した見方にすぎない。批判にすら値しない暴論なので、ここで指摘しておく。
時々トンデモ歴史学もどきで言われることに「歴史」は物語だ、というのがある。これは「トンデモ」である。歴史が「物語」というのはもちろん「historie」の語源から来ているのであるが、それはあくまでも「叙述」することであり、「ある史観に基づいて過去を再構築する試み」なのである。それはあくまでも今日の我々がなすべき問題であって、その意味からも「歴史は、物事を記録しておくという歴史文化を持つ民族にしかつくれない」というのは、歴史学のイロハを踏まえない暴論というしかない。
歴史学のイロハに関して無知なのが問題ではない。誰でも自分の専門外のことは無知で当たり前だからだ。そのことは批判されるべきではない。従って私はこの人を批判するつもりは全くない。あくまでも他山の石として、歴史学のイロハの再確認の題材にしておくにとどめる。