追加法262

鎌倉幕府での「撫民」政策の根幹は裁判の充実である。「自力救済」すなわち自己責任の論理を否定し、弱者にこそ公的な支援を受けられるようにする「撫民」においては、争いを自己責任の論理に委ねないために公的権力の介入を強めた。
追加法269では「百姓等と地頭の相論の時」に「百姓に其の謂われ有らば」と地頭と「百姓」の間の裁判で「百姓」が勝訴することが想定されている。追加法269に先立つ二年前に出されたのが今回検討する追加法262である。宝治二年(1248)3月20日の評定で定められた。
本文。

宝治二年三月廿日評云、雑人訴訟事、奉行人雖遣奉書、論人等不叙用之由、有其聞。所存趣甚不穏便。自今以後召文三箇度之後者、可有後悔之旨、差日限、以国之雑色、可被下遣召文也。此上或捧自由之陳状、令違期者、停訴訟可被成敗之状如件。

読み下しと解析。

A 宝治二年三月廿日の評にいわく、雑人訴訟の事、奉行人奉書を遣わすといえども、論人等叙用せざるのよし、其の聞こえあり。所存の趣は甚だ穏便ならず。
B 自今以後は召文三箇度の後は、後悔あるべきの旨、日限を差し、国の雑色を以て、召文を下し遣わせらるべき也。
C 此の上或いは自由の陳状を捧げ、違期せしむれば、訴訟を停め、成敗せらるべきの状件の如し。

Aでは雑人の訴訟について「論人」(被告)が無視することが問題とされている。「雑人」の訴訟、ということは、「雑人」が訴訟の主体つまり「訴人」=原告となることである。論人=被告が誰かと言えば、そもそも鎌倉幕府御家人を統制する権力であることを考えれば、雑人相互の訴訟は考えづらく、論人とは地頭御家人に他ならない。雑人が原告となった訴訟について奉行人が鎌倉殿の奉書を出しても被告である地頭が無視をすることが問題とされているのである。
Bでは召文(召喚状)を三度出せばあとは「後悔あるべし」つまり論人の言い分が聞かれず、不利な判決が下される可能性を示唆している。
Cでは「自由之陳状」を出す地頭が存在することが言われている。この時代の裁判は「三問三答」と言い、訴人と論人がそれぞれ訴状と陳状を三度ずつやりとりする。具体的には訴人が訴状を出し、論人が陳状を出して訴状に反論する。それを三回繰り返す。召文も三度ということで、裁判では三回、というのがこの時代からの原則だったようだ。自由の陳状を出すと言う行為をし、期限に遅れれば訴訟を中断し判決を出すことが決められている。
追加法262とセットになるのは追加法269である。
追加法269の本文。

一 雑人訴訟事
百姓等与地頭相論之時、百姓有其謂者、於妻子所従以下資材作毛等者、可被糺返也。田地并住屋令安堵其身事、可為地頭進止歟。

読み下し。

一 雑人の訴訟の事
百姓らと地頭と相論の時、百姓に其の謂われあらば、妻子所従以下資材作毛等に於ては、糺し返さるべきなり。田地ならびに住屋は其の身に安堵せしむる事、地頭の進止たるべき歟。

本郷和人氏は『新・中世王権論』(吉川弘文館)において次のように述べる。

二六二と二六九を一連の法令と理解すれば、百姓や非御家人がたとえ限定的であるにせよ、訴訟の当事者たりうることを明示した画期的な法令とは解釈できまいか。このとき、二六二は手続き、二六九で実体を定めると理解したい。

この見解に従えば、確かに262では細かい手続きが定められ、実際に地頭が抑留する妻子・所従や財産などを地頭の責任で返すことを法で定めているように考えられる。
さらに付け加えるならば、追加法289や追加法293において地頭代に対して規制を加えるのは、262で定められた手続き、269で定義された実体に、さらに実効性を附与しようとしたものだと考えられよう。対象を地頭代に設定したのは、現実の状況に対応しようとしたものだろう。