「関東新制条々」16−追加法354

引付衆の服務規定。引付衆は1249(建長元)年に設置された職で、所務沙汰つまり御家人の所領に関わる訴訟を扱う。訴人すなわち原告は訴状を問注所に提出し。問注所は所務沙汰に関わる場合は訴状を引付衆に送達する。引付衆では論人に訴状を開示したうえで陳状を提出させる。陳状は引付衆から訴人に送達され、訴人からは二回、論人からも二回訴陳状のやりとりを行う。これを三問三答という。その後引付衆の眼前で相論を行う。その結果は執権・連署他有力御家人が集う評定会議に提出され、それを基に評定衆の判決が下される。執権・連署による下知状が出され、判決が確定する。
引付衆は五番から編成され、それぞれの頭人評定衆の構成メンバーである。一番引付頭人は執権・連署に次ぐ政権のNo.3であり、一番引付頭人を経て連署・執権になるケースは多い。ほとんどは北条一門の有力者が引付頭人に就任するが、五番引付頭人安達泰盛であった。引付衆は廃止されたり復活したり、と忙しい。
1261(弘長元)年の引付頭人は一番大佛朝直、二番名越時章、三番金沢実時、四番二階堂行方、五番安達泰盛引付衆として名前が挙げられているのが、名越教時、大江政茂、清原教隆、中原師連、長井時秀、伊賀時家、二階堂行綱、安達頼景、二階堂行忠、二階堂行氏、伊賀光政である(「関東評定伝」)。翌年には三番に縮小され、引付頭人が一番大佛朝直、二番名越時章、三番金沢実時となっている。
本文。

一 五方引付事
面々引付緩怠之間、訴訟人等有嘆之由、遍有其聞。自今以後、随沙汰之躰、早速可令申沙汰也。但有殊子細、令延引事者、兼可申之。徒三ケ年已上之訴訟、不申沙汰抅持之奉行人等、可被処罪科也。且此等子細引付頭人随注申之、可有忠否之沙汰也。若又引付頭人無沙汰、不注申者、可為頭人之不忠。且被仰下引付条々、一向随頭人与奪、可致其沙汰之由、可被仰五方当人等矣。

読み下し。

一 五方引付の事
A 面々引付緩怠の間、訴訟人ら嘆きあるのよし、あまねくその聞こえあり。
B 自今以後、沙汰の躰に随い、早速申沙汰せしむべきなり。
C 但し殊に子細ありて延引せしむの事は。かねてこれを申すべし。
C1徒に三ケ年以上の訴訟を申沙汰せず、抅持の奉行人らは、罪科に処せらるべきなり。且つこれら子細を引付頭人この注申に随い、忠否の沙汰あるべきなり。
C2もし又引付頭人無沙汰し、注申せざれば、頭人の不忠たるべし。且つ引付に仰せ下さるの条々、一向頭人の与奪に随い、その沙汰を致すべきの由、五方頭人らに仰せらるべし。

Aでは引付衆に回された訴訟の長期化が問題視されている。そのため訴訟の迅速化をBで命令している。
Cの「但」以下では長期化に事情を斟酌する文。C1では三年以上訴訟を放置する奉行人への処罰を頭人に命じ、C2では引付頭人の責務を述べている。