法律の適用って結構難しい

昨日のエントリにいただいたhakuriku氏のコメントを拝読していていろいろ考えさせられた。代理権の濫用を適用しようという私見に対する批判だが、私自身かなり難しいかな、と。そもそも教育基本法を特別法と解釈して一般法である民法に優先する、という法理の適用も私自身が書いておいて何だが、かなり難しいように思う。
そして私のように法律を杓子定規に解釈すること自体、問題を孕む。
例えば私の勤務先の塾で月謝の未納があったとする。実際には私の塾では親に催告しても、子どもにはそういうことを一切言わなかった。月謝を払っていないのだから教師と生徒ではない、というほど目の前の生徒に対して厳密になれない。月謝を払ってない状態で、塾と生徒の関係が維持されていることが既におかしい、と言えばそう言えるのだろうが、そういう言い方は教育者としての魂が死んでしまっているような気がするのだ。そんな言い方をする人間は教育者として失格だ、と思ってしまう。だから親の踏み倒しには頭を痛めても、子どもにその責任を着せる気持ちには到底なれない。
しかしそれだけが正しいのだろうか。おそらく違う。私の塾は規模が小さい個人塾である。一人の未納は塾の経営に直接響く。経営者である塾長はどう台頭すべきだったのだろうか。塾長は教育者としての性に従った。その生徒は何事もなかったかのように通い続けた。結局親が払うまで辛抱強く待ち続けたのだ。生徒は屈託なく通塾し続けた。これは一つの「いい話」だろう。しかしそれを全てと言うわけには行かない。それで仮に経営が傾くようなことがあればそれはそれで問題だ。何よりも私にとっても生活がかかっているのである。私の塾の事例は結果的には丸く収まった。しかしその事例は個別的な「いい話」でしかなく、それを一般化するわけにはいかない。
法律をここに適用すればどうなるだろうか。子どもの退塾も止むを得ない、ということになるだろう。月謝を払わないまま塾に通わせ続ける、というのはある意味まじめに払っている保護者からすれば不公平ですらある。塾側はそういったことを保護者にも当然言わなかったから不公平感を感じることもなかったわけだが、しかしその不公平感に基づけば塾の判断は正しいと言い得るだろうか。
何が正しかったのかは結局その事例その事例ごとに異なる。法律の適用も「これ以外にはない」というものではなく、ケースバイケースで考えていかなければならないものなのだろう。
いや、いろいろ考えさせられた。いろいろご教示くださった上に考える機会を与えてくださったhakuriku氏には感謝したい。