弘南鉄道3600型

鉄コレの弘南鉄道は旧国払い下げ車を持っている。東北地方、特に青森県津軽地方は津軽安藤氏で論文を書いたことがあるだけになじみ深い。安藤氏関係の論文は見事返り討ちにあったのだが(笑)。史料の読みが徹底的に甘かった。返り討ちに遭う前に自分の論文の欠点が分かる、というのもいやなものだ。その7年後、忘れた頃に返り討ちにあった。ネット論壇と違って学界の批判の応酬はのんびりしている。私がある先生を批判したのが1995年、96年に『史学雑誌』の「回顧と展望」で別の先生から批判され、自分の論文の史料の読みが甘いことを知り、「やべ」と思っていたら2002年にそのある先生の著書が出て、そこで一節をまるまる使ってフルぼっこ。著書の一節を使って批判される、というのはある意味名誉なことなのでありがたいのだが。
津軽地方は何回か訪れたが、弘南鉄道には乗った事がない。みた記憶もない。弘前中央駅の前は通ったが、折悪しく電車はいなかった。
初めて津軽を訪れたのは90年の秋、浪岡城を見学に行った。まだ発掘調査も始まったか始まらないかのころで、どこかわからずうろうろした記憶がある。そもそもその日は上野発の急行「津軽」の座席車でやってきたので寝不足で頭が回っていないのが原因か。夕方の特急「いなほ」で新潟に出て新潟発の急行「きたぐに」のB寝台で帰ってきた。583系に乗ることが主なのか、浪岡城をみるのが主なのか、自分でもよくわからない。
年度は忘れたがもう一度「津軽」に乗っている。確か「あけぼの」のソロで弘前入りして、浪岡から青森を「津軽」で移動したように記憶している。その時は浪岡町の博物館を見学した。石井進氏がまだ健在で、石井氏が講演に訪れたことをそこの博物館のおばちゃんから聞いた。浪岡から青森まで「津軽」で移動し、そこから北海道に行ったはず。
弘前にはその後は津軽安藤氏がらみで93年に行った。この時も「あけぼの」のソロで、車内で皮が剥けてしまい、弘前では爪切りを買いに駅の売店に駆け込んだ記憶がある。今でもその爪切りは重宝している。その時は十三湊に行った。その旅行は十三湊と上ノ国を訪ねる「北の中世史」の旅だったが、その直後にK大学の国史研究室がほぼ同じところを行ったようだ。ただこちらはバスと鉄道、向こうは貸し切りバスなので、向こうの方が圧倒的効率はよい。いや、うちの大学もそれくらいしてくれよ、と思ったものだ。
今回の弘南鉄道3600型は1980年に東急から入線し、終始弘南線で使われた車両だったと思う。旧国払い下げのモハ1121・クハ1611は69年から80年まで弘南線で活躍し、3600型に追われるように80年に大鰐線に移籍していずれも90年代まで使われた車両だが、90年代初頭には東急から7000系が入線して主力車両になっていたので、実際私が弘南鉄道を見たとしても7000系だったはずだ。だからあまりなじみはないのだが、マルーンの濃淡の塗り分けは以外と桜に合う。弘前城の桜のイメージもあるので、我がレイアウトには比較的似合うはず、と思っている。