我が九条(その2)−九条良経

九条兼実には良通、良経、良輔、良平がいたが、良通は早世したので良経が跡を継いだ。
良経(よしつね)は源義経(よしつね)と読み方が一緒なので、義経が謀反人として討伐される時には良経を憚って義経を勝手に改名したようだ。『吾妻鏡』文治三年二月十日条には「前伊予守義顕日来隠住所々」とある。「前伊予守義顕」が義経のこと。
良経は38歳の時に寝所で殺される。反幕府派によるテロ、とも、強盗に殺害された、とも伝えられる。
妻が一条能保女で、義母が源頼朝の同母姉妹(姉か妹かは不明)の坊門姫で、頼朝と深い関係にあった。その縁から、良経の孫の頼経は鎌倉幕府の4代将軍に就任している。坊門姫のもう一人の娘(良経の妻の姉妹)が西園寺公経に嫁いでおり、九条家の後に鎌倉幕府との交渉に西園寺家があたることとなった。
歌人としても著名で、百人一首にも「後京極摂政前太政大臣」として「きりぎりす なくや霜夜の さむしろに 衣かたしき 独りかもねむ」が収載されている。
No.2 九条良経(父:九条兼実、母:藤原季行女兼子)
01:嘉応1(1169). 生(1)
02:治承3(1179).04.17.元服従五位上(11)
03:治承3(1179).08.26.禁色を許され、昇殿
04:治承3(1179).10.09.侍従
05:治承4(1180).04.21.正五位下(12)
06:養和1(1181).12.04.転右近衛少将(13)
07:寿永1(1182).11.17.転左近衛権中将(14)
08:寿永2(1183).01.07.従四位下(15)
09:元暦1(1184).12.20.正四位下(16)
10:元暦2(1185).01.06.従三位(17)
11:元暦2(1185).01.20.兼播磨権守
12:文治2(1186).12.15.正三位(18)
13:文治3(1187).01.23.従二位(19)
14:文治4(1188).01.06.正二位(20)
15:文治5(1189).閏4.08.転権中納言(21)
16:文治5(1189).07.10.転権大納言
17:文治5(1189).12.30.兼左近衛大将
18:建久1(1190).07.18.兼中宮後鳥羽天皇中宮、良経の姉妹の任子)大夫(22)
19:建久6(1195).11.04.転内大臣(27)
20:建久9(1198).01.19.止左近衛大将(30)
21:正治1(1199).06.22.転左大臣(31)
22:建仁2(1202).11.27.内覧宣下(34)
23:建仁2(1202).12.25.摂政宣下
24:建仁4(1204).01.05.従一位(36)
25:建仁4(1204).11.16.辞左大臣
26:建仁4(1204).12.07.一座
27:建仁4(1204).12.14.太政大臣宣下
28:元久2(1205).04.27.辞太政大臣(37)
29:元久3(1206).03.07.没(38)