天台宗と真言宗

天台座主高野山を公式訪問する、とかで、1200年ぶりの交流とか。
まあ考えてみれば室町幕府6代将軍の足利義教天台座主経験者で、義教の護持僧だった醍醐寺三宝院門跡の満済真言宗のトップの一つの東寺長者を務めた。だから1200年間いがみ合ってきた、という訳でもなさそうだ。足利義満は自分の息子のうち、義円を青蓮院門跡に入れ、義円は天台座主に上り詰めた(後の足利義教)。義昭を大覚寺真言宗大覚寺派)、法尊を御室仁和寺真言宗御室派)、虎山永隆を相国寺臨済宗相国寺派)に入れるなど、まあそれぞれ仲良くやっていたようだ。もっとも義昭は義教に警戒された揚げ句、日向国まで逃亡して殺されているが。