我が九条(その7) 九条師教

九条家がようやく摂関家の一員として残ったため、師教は比較的順調に昇進している。皇太子富仁親王東宮傅を務めながら後二条天皇の関白を務めるなど、持明院統大覚寺統双方とうまくやっているが、おそらく後二条天皇の関白を務めるのは、来るべき富仁親王践祚に向けての伏線と解するべきだろうか。富仁親王の即位後は摂政となっている。花園天皇である。花園天皇は好学の天皇として有名で、師教はその資質に何らかの寄与をしているとすれば、なかなかの人物だと思うが、詳細は分からない。しかもすぐに摂政を辞めているので、何とも評価は難しい。
九条師教(父:九条忠教、母西園寺公相女)
文永10(1273).05.27.生(1)
弘安4(1281).01.08.元服従五位上(9)
弘安4(1281).02.01.侍従
弘安4(1281).03.06.正五位下
弘安5(1282).12.25.右少将(10)
弘安6(1283).01.05.従四位下(11)
弘安6(1283).03.28.兼近江介
弘安6(1283).12.24.従四位上
弘安7(1284).01.16.左中将(12)
弘安7(1284).10.27.正四位下
弘安8(1285).03.08.従三位(13)
弘安9(1286).01.13.正三位(14)
弘安10(1287).02.10.兼播磨権守(15)
正応1(1288).09.12.権中納言
正応1(1288).11.21.従二位
正応3(1290).06.08.権大納言(18)
正応5(1292).12.25.橘氏是定宣下(20)
正応6(1293).01.28.内大臣(21)
永仁4(1296).12.27.転右大臣(24)
永仁5(1297).12.27.兼左大将(25)
永仁6(1298).01.06.左馬寮御監(26)
永仁6(1298).04.29.辞左大将
永仁7(1299).01.11.一上(27)
永仁7(1299).04.26.転左大臣
正安2(1300).01.05.従一位(28)
正安3(1301).08.24.東宮傅(29)
嘉元3(1305).04.12.関白、藤原氏長者(33)
嘉元3(1305).12.17.止大臣
徳治1(1306).12.22.止傅(34)
徳治3(1308).08.26.摂政(35)
延慶1(1308).11.10.止摂政
元応2(1320).06.07.没(48)