この十年ほどの歴史知識

私は1995年に大学院博士課程を単位取得退学してから、塾の仕事をはじめた。最初は高校受験の社会。翌年からは中学受験の社会の塾に変わり、さらに1997年からは大学で非常勤講師として日本史を教え始めた。高校受験の社会は2年半でそこの塾が閉鎖されたのでそれ以降はやっていないし、中学受験の方は3年目からは国語中心に転じたので社会からは基本的に外れ、社会に関してはサポートに回っている。この十数年ほどはそれでも小学生と大学生の歴史意識に関わる仕事をやっているわけだが、痛感するのはこの十年ほどで歴史に関する知識が大幅に減少していることである。大学で日本の通史を教えているわけだが、北条時宗を知らない学生が過半数。一応有力大学とみなされる大学で、新たに静岡県知事に就任した研究者も褒めちぎる大学である。そこの学生でも北条時宗の認知度は半数以下。小学校で学ばないのか、学んでも速攻忘れるのか。あげくに「高度すぎる」とクレームが来た。いや、小学校で本来学ぶべき内容を復習しているんですが・・・。
もう一つの出講先の大学では文学部を担当しているので、専門科目としての鎌倉時代室町時代の概説を担当したのだが「マニアックすぎる」と来た。先行研究に触れることは「マニアック」なのだそうだ。一応専門科目なので、領主制論と権門体制論とか、守護領国制論とか、国人領主制論とかは一応押さえてほしいんだけど・・・。
小学生の歴史知識の欠落はひどいものがある。そこまで歴史を知らなかったっけ、という位ひどい。国語でも文学史を教えることがあるのだが、作品の周辺の歴史知識を聞けば、本当にものを知らない。歴史知識は崩壊していると言って良い。十年以上前はそんなことはなかった。出来ない生徒はいつでもいる。しかし歴史に詳しい生徒がいなくなった。歴史に関心を持つ生徒もいなくなった。授業内容を覚えていない。結局近年の社会の授業に魅力がなくなっているのだろう。
そういえば昨日のイザ!の中で「識者」の「子供が初めて学ぶ日本史が、日本を悪と強調する10年以上前の教科書の内容で、それを丸暗記させられている」というコメントや「教科書は小学校でも中学校と連動して自虐的な内容が改善されており、教材はその動向に真っ向から反している」というコメントが思い出される。この十年間「自虐的な内容が改善され」た反動として、歴史が、「美しい虹を見せる」ことに特化された結果、「いい話」という「道徳的」なものになっているのではないか、と邪推している。小学生でもそこそこの知性のある生徒は、日本が悪い、とか日本はよい、とかいう「道徳的な話」ではなく、「なぜある歴史的な出来事は起こったのか」という分析を聞きたがる。「日本はこんな悪行を重ねました」とか「日本はこんないいことをしました」というような道徳的な教訓話を垂れ流し、覚えるだけの授業は、まともな知性のある小学生ならば退屈と考えるのである。だから何も頭に残らない。そういうことではないだろうか。結局教師側の社会科学的素養の欠落が、暗記至上の、道徳的な与太話的歴史教育を蔓延させているのではないか、と考える。これは保守的な歴史教育だけではなく、そもそもは教条的な善悪史観で裁断してきた左派の歴史教育にこそ問題があったのだろう。藤岡信勝氏は90年代初頭まで左派だったから、左派の最も悪い時期を担ってきた研究者であり、それを保守派に持ち込んで保守言論を教条左翼レベルに劣化させた、と私は見ている。言っていることの外形は極右だが、その論理は心性は完全に教条左翼そのものでしかない。もっとも最近もてはやされている「保守」の「市民運動」も教条左翼の「市民運動」をみる思いだが。
追記
拙エントリに言及くださった次の論(「唯ゲーム論」)。全く正しい。

ここで 素晴らしい解決策が思いついた

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それならいっそ

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異論を併記しちゃえばいいじゃん

大学の講義ではそれをしているんだけど、異論を併記すると「マニアックすぎる」と叱られるんだよなOTL。大学生の中には自分が得た知識を大学教師という「識者」に権威付けしてほしいだけ、というのも結構いるので、異論を併記すると「マニアック」なのだそうだ。結局受験は一つの「正解」を覚えるだけで、それを大学になっても引きずっていて、自分の頭の中でこさえた「正解」以外は「必要を感じない」ということらしい。そういうのはごく一部だけと信じているけど。