「知里幸恵日記」を読む・序

中途半端にやりはじめて中途半端に終わる恒例の連続もの。今回はどこまで続くか分からないが「知里幸恵日記」を読んでみる。
知里幸恵日記」は知里幸恵が東京に来てからの日々が描かれている。東京に来たアイヌの少女がどのような思いで東京での日々を過ごしたのか、を考えたい。幸恵が東京に来たのはいうまでもなく金田一京助に誘われたからである。このあたりの考察はすでに多くの先行研究が存在する。
特に金田一知里姉弟の問題に関しては、知里真志保による師匠の金田一批判があり、それに乗っかる形でのいささか人格攻撃的な、感情的な批判がなされている。しかし知里真志保金田一批判は、両者、特に知里真志保金田一への個人的な複雑な思いと無縁ではなく、この師弟の感情のもつれにそれこそ乗じる形での議論は、極めて不毛である、としかいいようがない。
現在の研究水準では、金田一の問題点として挙げられるのが、金田一アイヌへの関心が「アイヌ語」に集中しており、しかも金田一にとっての「アイヌ語」とは現在まさに話されていて、なおかつ絶えようとしているアイヌ語ではなく、化石化した「アイヌ語」であった点である。文字をもたないアイヌの場合、古い形のアイヌ語を探せば、必然的に口承伝承に行き着く。金田一が「ユーカラ」の研究を行った背景には、金田一アイヌ語を研究した動機と密接な関係がある。金田一の研究の出発点がそもそも上田万年の「共通語」創成プロジェクトの一部であったこととも無縁ではないだろう。共通語を創成するときに、日本語の系譜を明らかにするために、日本語だけではなく、周辺の言語の系譜をも射程に入れた研究プロジェクトが行われ、その一環としてアイヌ語の研究に岩手県出身の金田一が担当させられることになったのである。従って金田一にとってはアイヌ語への関心は、現在生活しているアイヌ民族ではなく、過去の日本語との比較対象としての「アイヌ語」であった。そしてそのときに金田一が接近していくのは、「北海道旧土人保護法」によって「保護」の対象となった「アイヌ」である。そこではアイヌは独自の文化を持つ対象ではなく、没落し、日本人の義侠心によって「保護」されている、と定義された〈アイヌ〉である。金田一にとっては「アイヌ語」が必要なのであって、今生活しているアイヌは不要ですらあるのだ。金田一にとってアイヌは保護された〈アイヌ〉であり、「ほろびゆく民族」であった。だからこそ「アイヌ語」の採集は急がれねばならなかったのである。「アイヌ語」が採集さえできれば、「ほろびゆく民族」〈アイヌ〉は「保護」「同化」という形をとるのが最も幸せと感じていたのである。これは金田一そのもの、というよりは、近代の日本の、否、近代の「学知」が共通して持っていた問題点であろう。「人間動物園」にも共通する問題である。「人間動物園」とは、ある特定の文化に「劣等性」のレッテルを貼り付け、それを「見せ物」とすることの表象である。違星北斗の短歌で非難されていたアイヌを「見せ物」にする「博覧会」はアイヌに対する一種の「人間動物園」と言い表すこともできよう。
そのような関心によってはじめられた金田一アイヌ学の研究手法は、アイヌ語話者を東京に呼んで聞き書きを行う、という手法になる。現地にいくことはあっても、そこでの現在のアイヌの生活に直結したアイヌ語ではなく、あくまでも化石化した「アイヌ語」が求められていた。金田一と幸恵の出会いとなった「近文の一夜」はその意味では象徴的であった。
幸恵は金田一に問う。「先生は、私たちのユーカラのために、貴重なお時間、貴重なお金をお使いくださって、ご苦労なさいますが、私たちのユーカラはそういう値うちがあるものでしょうか」
金田一は答える。「いまこれを書きつけないと、あとではみることも、知ることもできない、貴重なあなた方の生活なんだ。だから私は、全財産をついやしても、全精力をそそいでもおしいとは思わない」
幸恵は目に涙を浮かべ「私たちはアイヌのことといったら、なにもかも恥ずかしいことのようにばっかり思っていましたが、いま目が覚めました。これを機会に、私も全生涯をあげて、祖先が残してくれたこのユーカラの研究に身を捧げます」
その後幸恵は金田一の勧めでローマ字でアイヌ語を書き、金田一とノートのやりとりを行うようになる。そして1922年、上京し、金田一のもとで『アイヌ神謡集』の出版に向けた執筆活動を行うことになる。幸恵の上京に関しては、父と母で対立があったようだ。そのころ幸恵は名寄の青年村井曽太郎と交際していた。母のナミは村井が農家であることを懸念していた。体の弱い幸恵が農家の嫁としての労働に耐えられるか、心もとなかったのである。一方、伯母の金成マツと祖母のモナシノウクはこの結婚に賛成であった。そのような中、金田一から上京の勧めがあった。
上京については父の高吉が反対した。それを説得したのはナミであった。幸恵は母の反対を押し切って村井と仮祝言を上げ、その上で金田一のもとに、『アイヌ神謡集』の出版を行うために旅立ったのである。
こうした背景を念頭に置いて読んでいく。