宮崎駿氏のインタビュー

過去へのノスタルジーについて(「“ポニョ”を作りながら考えていたこと:「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編) (4/4) - ITmedia ビジネスオンライン」)。
備忘録として。

――第二次世界大戦後の日本の歴史の中で、一番懐かしさを感じる時期があれば教えてください。もしなければ、日本の歴史の中でどの時期に懐かしさを感じますか?
宮崎 ずいぶん私は探していたのです。いつが一番良かったのか。どこで止まればよかったのか。
 止まらないことが分かりました。
 例えば昭和30年代を懐かしいという人が日本にいます。「その時期は良かったのではないか」と錯覚を起こしている人がいますが、非常に不幸な時代でした。
 なぜ不幸な時代だったかというと、うっくつした欲求不満がその後に凶暴な公害をもたらすのです。日本中の海や川を汚し、山を削りゴミだらけにしました。そんなに凶暴になることは、かつての日本にはなかったことです。懐かしいと言われている時代に、それだけの欲求不満がうずまいていたのです。実際自分の子ども時代でも、周りの友人たちに学校に行けない人とか、自活しないといけないという人たちがいました。
 江戸時代ならいいのか。それはもちろん惨憺(さんたん)たるものを、たくさん含んだ社会です。
 「いったいどこに止まれば良かったのか」というのは、これはずいぶん探しましたが、結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。

他に(「“ポニョ”を作りながら考えていたこと:悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない――宮崎駿監督、映画哲学を語る(前編) (2/4) - ITmedia ビジネスオンライン」)。

――先ほどの講演で「子どもたちをナショナリズムから解放したい」とおっしゃいましたが、今後は地域社会に根ざした映画を作るつもりか、グローバルな映画を作るつもりかどちらですか?
宮崎 「世界の問題は多民族にある」という考え方が根幹にあると思っています。ですから少なくとも自分たちは、悪人をやっつければ世界が平和になるという映画は作りません。
 「あらゆる問題は自分の内面や自分の属する社会や家族の中にもある」ということをいつも踏まえて映画を作らなければいけないと思っています。
 「自分の愛する街や愛する国が世界にとって良くないものになるという可能性をいつも持っているんだ」ということを、私たちはこの前の戦争の結果から学んだのですから、学んだことを忘れてはいけないと思っています。

この記事の題が「悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない」というもので、善悪二元論で世の中をすっぱり切る単純な思考に対する強烈な批判。
あるいはここも(「“ポニョ”を作りながら考えていたこと:「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編) (4/4) - ITmedia ビジネスオンライン」)。

私はチャンバラ映画のようにワッと切り捨てたらハッピーだとか、バーンと撃ったからケリがついたとかそういう映画を作りたくない。それは「その時は口に甘いかもしれないけれども、自分の記憶には残らないだろう」という気がしています。「自分が行ったことはないけれども、見たことはないけれども、世界は美しいものなんだな」と見た子どもたちが受け止めてくれるようなものが含まれる映画を作りたいと思ってます。