歴史学研究者の矜恃

歴史学という学問は、過去の出来事を暗記することだ、と思われがちである。あるいは現実とは関係のない過去の出来事を研究している、暇人と思われがちである。それはそれで仕方がない側面があるし、また歴史学研究者の中には過去の出来事を解明することだけを己の使命と考えている研究者もいる。
しかしそれでも歴史学研究と現実の間の緊張関係の中で己の歴史学の方法を鍛えている研究者もいる。「歴史は繰り返す」という陳腐なレベルではなく、歴史学の研究成果から現実に生起する事態への対処の糸口をつかもうとする研究者は存在する。
私は本職は室町時代の対外関係史で、最近は鎌倉時代の対外関係にまで関心を広げている。またアイヌの歴史にも関心がある。これらは単なる趣味と言うよりは、現実の国民国家に束縛された視座を相対化し、あるいは「中核地域」と「辺境地域」の搾取−被搾取関係を考察し、あるいは少数民族の問題を考察するためにも必要な研究である、という自負はある。その方法論を鍛えるために論文を執筆したり、学会で報告したりする、ということを行い、あるいはそれを社会に還元するために大学で講義をしたり、講演を行なうのである。
いわば研究は自分の生き方に関わる問題なのである。それを「見世物」呼ばわりする行為は、「頭がわるい」という、一般的抽象的な罵倒語とは比べるべくもないほど激しい批判行為である。ここまで自分の存在を全否定されれば、研究者は相手に対する厳しい反批判を行うのは、研究者のアイデンティティを守る行為である、と私は考えている。ここでいう「研究者」はアカデミズムに属する研究者に限らない。歴史学的な方法論に基づいて、歴史的事象を扱おうとする人々全てを含み込んでいるのはいうまでもない。