「裁判記録」について

b:id:gouk氏の「今度は裁判の話???」(http://gattee.net/talk/201002/201002post-105.html)を受けて、エントリとして独立させた。
ここで問題になっている「裁判記録」というのは、
判決理由のついた裁判記録が存在し、かつその判決理由で『ごぼうを食べさせた』ことのみが有罪の決め手となり、判決が死刑だったとする」
という「裁判記録」である。ごぼうのことも一因となって訴追され、結果、さまざまな訴因で死刑判決が出たという裁判記録を読んだのであれば、そのことに言及すればよかっただけの話である。例えば
「牛蒡が原因で死刑になった、という記述すらも物語の一つであり、真実ではない。」
と、gouk氏の認識通りに処理しておけば、それで多分この問題は終わっていたのである。もちろんそれで議論が終わるとは限らないが、これにさらに突っ込むと、逆に「はてなブロガーモヒカン族の容赦ない論理世界」が批判の対象となり、ガメ氏は「はてなーにボコボコにされているのは可哀想だなぁ」(ガメさんの件でApemanさんにお返事しとく - あんとに庵◆備忘録)と同情されていただろう。しかしガメ氏は
「ブログには書いてないが、わし自身が研究者(もちろん歴史ではないが)なので研究者の手順に従って論争しようというのなら、(kamayanさんの真正研究者保証つきなら)、メンドクサイが相手にしてやってもよい、と思いました。」
と大見えを切った。ガメ氏自身が「研究者(もちろん歴史ではないが)」であり、「わっしがむかし研究者として在籍したことのある大学の先生(たまたま歴史の先生、セイヨーシだが)」に言及している以上、そのガメ氏が読んだと称する「裁判記録」は当然Apeman氏の要求する「裁判記録」そのものであることはガメ氏もApeman氏も含めて前提となっているのである。だからこそkamayan氏も「ガメさんとApemanさんの「論争」は、初め、ガメさんに分があると思ってました」と認識したのである(2010-01-29 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版)。
gouk氏は「物語で歴史を理解したような気になられるのが嫌なんだろうけど、物語は物語、フィクションでしかないのはわかってるんですけどね、そこの融通が効かないんじゃないかな、と思いました」と述べているが、実際には「融通が効かない」ように条件を設定したのはApeman氏ではなくガメ氏なのである。
「わし自身が研究者(もちろん歴史ではないが)なので研究者の手順に従って論争しようというのなら、メンドクサイが相手にしてやってもよい」と大見えを切って出してきた史料の出典が「「岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっている」と主張し、しかも肝心の「末尾参考図書」というのは存在しない、というお粗末な結末では、それまで好意的に見ていた論者読者も見放すのは止むを得ないだろう。
私の個人的感想を言えば、ガメ氏をここまで擁護し続けること自体には、嫌みではなく、それだけガメ氏の書いてきたエントリには魅力はあったんだろうな、という気はしている。