一連の問題の所在

(上に出ているブクマ以外にこのブクマありはてなブックマーク - 2010-02-01 - 我が九条
この一連の動きでの問題の所在は何なのか。そこが今一つ共有されていない。
まずは動きを簡単に時系列で追いかけてみる。
ガメ氏がエントリで次のように発言する。

ついでに国民のほうは「隣の国がうるせーで、あの死んだにーさんたちが集まってる神社はなかったことにすべ」とゆいだした。
「なんか新しい公団住宅みたいな墓苑にすればいーんでない?」
そーゆーのをゴツゴーシュギというんじゃ、ボケ。

それに対しApeman氏がブコメで「へぇ。それ誰のこと? 」とコメントした。
次にガメ氏のエントリにおいて次のような記述がある。

戦後の日本人BC級戦犯の裁判記録を読んでいると、こういう些細な誤解が時にいかに重大な結果を引き起こすか、よくわかります。
わっしは、「死の行進」で弱りきったアメリカ兵になけなしのキンピラゴボウを分け与えたせいで戦犯として死刑を言い渡された日本兵のところまで読んで活字が涙でにじんで読めなくなる。
その簡単すぎる裁判記録から浮かび上がってくるのは、見るに見かねて敵兵に親切にしようと考えた若い日本兵の緊張と照れからくる強張った顔と突っ慳貪な態度であって、若い弱りきったアメリカ人の胸に突き倒すような勢いで自分の乏しい昼食を押しつける日本の誠実な若者の姿です。

それに対してApeman氏が次のようにコメントする。

巣鴨法務委員会編の『戦犯裁判の実相』(復刻版)で米軍による横浜裁判、フィリピン裁判の記録をあたってみましたが、そもそも「バターン死の行進」に関連して訴追された兵士らしき事例は見当たりませんでした。
(中略)
さらに、横浜裁判に関しては判決に判決理由が記載されていないそうです(横浜弁護士会BC級戦犯横浜裁判調査研究特別委員会、『法廷の星条旗 BC級戦犯横浜裁判の記録』、37ページ)。日本本土の収容所に収容されていた元捕虜が、自分たちの受けた虐待の事例としてごぼうを食べさせられたことを訴えた、という事実があったことについては確かだと思われるのですが、判決理由がない以上その事例が虐待として認定されたのか、されたとして量刑にどの程度影響したのかは分からないわけです。「ごぼうを食べさせた」ことのみをもって訴追された戦犯は管見の限り存在しません。ですから、有罪になったケースの記録、例えば起訴状なり検察側の証書に「ごぼう」への言及があったとしても、そこから「ごぼうを食べさせたので有罪になった」とは即断できないわけです。
これに対して、判決理由のついた裁判記録が存在し、かつその判決理由で「ごぼうを食べさせた」ことのみが有罪の決め手となり、判決が死刑だったとすると、上述したような私の調査には不備があったことになります。というわけで、ご覧になったという「記録」についてご教示いただければ幸いです。

そのコメントを認証承認せずに、ガメ氏は次のように発言。

載らないひと、っちゅうのは理由はひとつで日本のひとに特異なタイプではないかと思うが、他のところ、たとえばブックマークのコメントとかで思いきり失礼なブタ野郎コメントを書いておったくせに、ヘーキでコメントを書いてくるひとです。
あれ、多分、自分で自分がいかに失礼なクズ野郎か、わからないのだな。
これに該当するひとは、コメント、そもそも読んでねーよ。
まっすぐゴミ箱行きです。
ここ2、3日でいうとkoisuru_otoutoとApemanとかいうひとびとがそれに当たるのい。

さて、ここでのガメ氏の蹉跌は明らかだろう。下品な言葉でケンカを売ったこと、ではもちろんない。ケンカはいわばお互い様である。
ガメ氏の失敗は、Apeman氏の質問を無視したことである。ただしそれは道徳的な失敗(過ち)でもない。質問に答えるか否か、はもちろん自由である。そもそもコメント認証承認制をとっているブログで、どのコメントを認証承認し、どのコメントを認証承認しないか、どのコメントを残し、どのコメントを削除するかは、ブログ主の自由である。従って無視するならばそのまま無視すればよかったのである。
ここでの論点は明らかである。要するに「ガメ氏は本当に裁判記録を読んだのか否か」である。
それに対しPANDORA氏はkamayan氏のブログで次のように反論している(2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版)。

そもそも、元の文章で、ガメさんが「ゴボウ裁判は実在した=だから東京裁判はアンフェアであり、日本は悪くなかった」みたいな話をしたいのではなく、
「日本人は、親切にすることになぜか照れることがあり、ときに怖い顔で親切にする。それは、アングロサクソン系の人間にはまったく理解できない表現なので、正反対の意味にとられる。その典型的な例がここに見られる」
そして、「日本と日本語を理解した」ことによって、自分は、その日本兵の行為が「理解できる」。
「だからこのゴボウ裁判の話を知った日本人が、悲しくて涙を流す気持ちも理解できる」
という論調であり、話の主題としては、
「しかし、日本人は、極めて日本的な感情表現が、国際的に通用すると思ってはいけないし、それは悲劇を生みかねない」ということだと私は思います。
だから、ゴボウ裁判についての出典を求めるのであれば、「それはそれとして」という姿勢があるのが、やはり「礼儀」だと思うのです。

ここでガメ氏が黙っていれば、あるいはそれで終わっていたかもしれない。またはガメ氏がPANDORA氏の意見に同調しても、それはそれで終わっているのである。
このPANDORA氏の認識はgouk氏の次の認識(http://gattee.net/talk/201002/201002post-104.html)とも合致する。

要するに、ガメさんは、「日本人への無理解にみちみちていた英語圏の研究者」の
脳内にあるであろう『偏見』を思い、あの物語を作り、研究者の偏見に対して怒りを抱いていたのだ。
(中略)「その簡単すぎる裁判記録から浮かび上がってくるのは」
と記述してしまったせいで、ガメさんが裁判記録を読んで作った物語だと思われてしまっていたのだ。

この両者の認識を素直にガメ氏が認めていれば、それで話は終わっていただろう。いや、もっと単純な説明で済んでいたはずである。
「うろ覚えで書いた。裁判記録は読んでいない。わっしの言いたいことは、このゴボウ裁判の話を知った日本人が、悲しくて涙を流す気持ちも理解できるということであった。少し筆が滑った」
しかしここからがガメ氏の蹉跌のはじまりである。
ガメ氏は「裁判記録」を読んだのか否かについて次のように発言した(2010-01-23 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版)。

ブログには書いてないが、わし自身が研究者(もちろん歴史ではないが)なので研究者の手順に従って論争しようというのなら、(kamayanさんの真正研究者保証つきなら)、
メンドクサイが相手にしてやってもよい、と思いました。
ただ、わっしがむかし研究者として在籍したことのある大学の先生(たまたま歴史の先生、セイヨーシだが)の見立てでは「ただのゴロツキ。自分のブログを有名にするために、きみを利用しようとしているだけでしょう」ということだったので、ちょっと、このひとの著作リストを教えて欲しいと思います。
わっしはこのゴロツキと論争をしようと思えば、いまやっている投資案件を中断して22000キロを移動してわっしの「日本関連ライブリ」に移動しなければならない。
このくらいの要求はしても許されるだろうと考えました。

ここでPANDORA氏やgouk氏の思い描いていたガメ氏像とは全く異なった動きを始める。要するにガメ氏は自身が実は研究者であり、しかもあくまでも「裁判記録」を読んでいた、ということを主張したのだ。その「裁判記録」については

ごぼう」なひとびとのほうは、ブログ、読みました。ドマジメなだけのひとなのかも知れないので、簡単に書いておきます。
プライベートモードのいちばん最後に出ていたメッセージ

岩川隆「神を信ぜず」立風書房(文庫はダメ)「末尾参考図書」に挙がっていると思うよ。
あれは送ってもらえるんです。行かなくてもダイジョブ」

もし自分でとれなければ、わっしはBC級戦犯の資料がおいてあるところへ今年はなかなかいけないが、そこへ行ったら資料を送ってあげられると思う。英語だが、読めるでしょう?

これがある意味致命的になった。岩川隆『神を信ぜず』にはそもそも「末尾参考図書」などなかったのである(武士の情けで黙ってたんだけど、しかたない(追記あり) - Apeman’s diary)。
ガメ氏はどうするべきだったのか、明らかだろう。「裁判記録」を読んでいなかったことを素直に言えばそれでよかったのである。そうすればこんなに大騒ぎになることもなかっただろう。プライベートモードに入ることも、アカウント削除も起こらなかったし、むしろうるさい「はてサ」Apemanに絡まれた気の毒な人、として支持すら集め得たであろう(笑)