阪神6ー10オリックス

ケーシー・フォッサム投手の乱調。これが全て。もう一つ、福原忍投手が火に油を注いだ形。西村憲投手の失点も想定外。
いくつか私なりのポイントを。
6回裏、6対8の二点差のビハインド。新井貴浩選手、金本知憲選手のヒットで無死1・2塁の場面。打席には城島健司捕手。「意表をついた」バントだったが、実はベンチ前で首脳陣と城島捕手が打ち合わせをしていた。その段階でバントの可能性もあると思っていた。結果は初球でバント成功、一死2・3塁となってクレイグ・ブラゼル選手、桜井広大選手と続くので、一打同点の場面を演出。私が観戦していた周辺では非常に歓声が上がり、盛り上がった。ただデイリースポーツの携帯サイト(公式サイトでも出た「http://www.daily.co.jp/tigers/2010/05/22/0003008065.shtml」)では「複雑なリアクション」「打って欲しかったー。どれが虎党の願いだったに違いない」とある。私のいた場所が特殊なのかもしれないが、私の印象は異なる。あそこで周りのタイガースファンの盛り上がりはかなりのものになった。一打同点なのだから当たり前だ。そして城島捕手がバントを行ったということの意味は重い。「よくやった」というのが周囲の反応であった。そして理屈から言っても、8点差から2点差まで追い上げて、一打同点の場面を作り上げたのだ。そして長打力のあるブラゼル選手、桜井選手と続くのであるから、バントという作戦は必ずしも間違いとは思えなかった。周囲の反応もそのようであった。厳しいことを言えば、デイリーの記事は為にする印象操作であり、捏造と言っても過言ではないだろう。少なくとも「打って欲しかった」という願いは持っていない。むしろ併殺打が怖かったのが本音だ。周りの声もそうであった。だからバントに対してベンチと城島選手に対して最大限の歓声が私の周囲では送られていたように思う。もしここで併殺打であれば、「結果論になるが」と断りながら「結果論」でしか判断しない素人まがいのスポーツマスコミは結果論で采配を叩くはずだ、なぜならば、当該スポーツマスコミの記事は為にする記事でしかないからである。この一件に関する記事は、デイリースポーツの記事が為にする記事でしかないことを如実に表してしまった記事であると言えよう。
西村投手の失点について。
7回裏にマット・マートン中堅手平野恵一二塁手が交錯し、平野二塁手は明らかに足を痛めたように見えた。真弓明信監督と久慈照嘉内野守備走塁コーチが平野二塁手のところに向かったが、結局交替はなし。その後微妙な打球で2失点。むしろ采配を批判するならばここだろう。なぜ関本賢太郎内野手または大和内野手に交替させなかったのか、という疑問は残る。しかも次の回は3番の鳥谷敬選手からだった。打力好調は理由にはならない。結果的にはその後完全に押さえられるので、2失点は大勢に影響はないが、それでも4点差と2点差では差があったのではないだろうか。
ちなみに私はこういうのを「結果論になるが」というのだと考える。デイリーの記事は「結果論になるが」ではなく「言いがかりになるが」「為にする議論になるが」と言い換えるべきである。