承久の乱の原因3

(注意:この物語はあくまでもフィクションです)
承久元年12月29日の鎌倉幕府
義時「今回(伊賀)光季を通じてこんなもんがうっとこに来たんだけど、お前ら、ちゃんと彗星みてた?」
と安倍資元の勘文を見せた。
司天A「何々?20日に彗星が見えたって?見えましたっけ」
司天B「見えてないっすよ。」
司天C「見えてない、見えてない。何せ鎌倉はめっちゃ曇ってましたもん」
司天D「そうですよね。曇っているから見えてるはずがありませんよ」
司天E「京都で見えているからって、こちらが見えるとは限らないでしょう」
司天F「見えるはずがありませんよ」
司天G・H「そうですよ、そうですよ」
義時「そうだよな、お前らがさぼっているわきゃないもんな。ご苦労、下がってくれ」
司天ら持ち場に下がる。
A「おい、その日の当番誰だよ。冷や汗かいたよ」
G「すんません、私です」
A「ちゃんと見てたのかよ。寝てたんじゃねぇだろうな」
G「少し・・・、でも起きていても見えなかったんじゃないですか」
C「ってかお前その日の天気覚えてんのかよ。めっちゃ晴れてたじゃん。俺が曇ってた、って嘘ついたからよかったけど」
G「すんません。気をつけます」
AB「気をつけてくれよ」
承久2年正月の後鳥羽院
後鳥羽「義時め、ふざけやがって。彗星が出現しても『見えなかった』だと!あやつは自分で天文のことを決めるつもりか」
一条信能「まったく義時はつけあがっておりますな。自分が王だと勘違いしておるのではありますまいな」
後鳥羽「とりあえず、道家に命じて鎌倉にきつく申し付けておけ。鎌倉が独自に天命を決めてはならぬ」
一同「御意」
承久2年6月の鎌倉幕府
義時「左大臣殿(九条道家)からこんなものが来たんだけど、どう思う?」
司天A「どれどれ、えっと、朝廷では5月24日に延暦寺の根本中堂で、千僧御読経が行われた?大層だねぇ、たかが彗星でwww」
司天B「関東の司天が見えなかったと申しているのは不審です、だとさ。おいG、お前左大臣様から起こられてんじゃんw」
司天G「勘弁して下さいよ。いや、だから曇ってて見えなかった、と言ってるじゃありませんか」
義時「まあまあ、それは不問にしてやっから。しかしこちらが見えねぇって言ってんだから、それでいいじゃんかよ。うっせぇな、治天も。どうすべ?無視する?無視でいいよな、見えなかった、って言ってんだから」
一同「はぁ」
広元「おまちなされ、義時殿。それはいささかまずうございますぞ。治天はお怒りになられましょう」
義時「何でなんすか?別に治天に異を唱えているわけではなく、見えなかった、言ってるだけじゃないっすか」
広元「いや、王というのはそういうことを気にするものです。天からの警告を受け、それの対策を行なう、それが王たるものの務めでございます。それを臣下が枉げては王たる者の権威が守れませぬ」
義時「はいはい、分かりました。よくわからんけど、分かりました。とりあえずやればいいんっすね、やれば。(伊賀)光宗、とりあえずテケトーにやっといてくれ」
光宗「ははー」
というわけで鶴岡八幡宮大般若経から三部を選んで転読することにした。
承久3年5月19日の鎌倉幕府
義時「上皇様がついに兵を挙げ、おれらを討ちに来るっちゅうこっちゃ。しかしオレ、何かしたっけ?オレ、ちゃんと広元殿の意見に従って彗星も上皇様の言う通りにしたよな」
時房「思いつく事といえば、兄上が長江と倉橋の地頭職のクビの治天の要求を突っぱねたことくらいっすかね」
義時「そんなことで兵を挙げるかね、普通」
時房「でも女がからむとメンドーですからね、ああいう手合は」
義時「そだよな、女がからむとな。あそこって女絡みだったよな、そういや。だからオレも余計に意地になったんだったけな。」
時房「あれが女がからんでなかったら、意地張らなかったってことっすか?」
義時「うん、何せ女が文句言ったら通る、ってのがいやだったんよ、つーか、御家人ってほら、マッチョじゃん?あいつらに『女に土地取り上げられた』なんてこといえるか?」
時房「確かに」
義時「ということで、アネキ、そういうことでいいっすか?」
政子「いいでしょう」
義時「じゃあそゆことで。(安達)景盛殿、テケトーにアネキと相談して御家人の心を震わせるような演説、一つ頼むね」
かくして鎌倉幕府後鳥羽上皇と戦う道を選び、後鳥羽上皇の命運は決した。
参考:『吾妻鏡』承久元年12月29日条、承久2年6月10日条、12日条