鎮魂の寺院
恨みを残した死者は祟る。その祟りを避けるために鎮魂が行われる。
戦没者は自らを死に追いやった国家に祟る。だから祟らないように鎮魂を行う必要があるのである。秋山哲雄氏は『都市鎌倉の中世史』(吉川弘文館、歴史文化ライブラリー)で鎌倉に寺院が多い理由を考察しているが、そこで「鎮魂の寺院」について述べている。
円覚寺は「蒙古襲来」で戦死した全ての人々(日本・高麗・元・旧南宋など)を、敵味方関係なく鎮魂するために北条時宗が建立した寺院である。永福寺は源平合戦や奥州合戦で戦死した全ての人々(源氏はもとより平家や源義経・藤原泰衡も)を、敵味方関係なく鎮魂するために源頼朝が建立したものであった。宝戒寺は鎌倉で滅亡した得宗家の人々を鎮魂するために後醍醐天皇が建立した寺院である。
秋山氏は次のように指摘する。「鎌倉時代から戦死者の供養は敵味方の区別なく行われていることに現代人は注目しなければなるまい。現代においてしばしば用いられる『伝統的』という言葉は、実はあまり歴史をもっていないことが多い。たいていが現代人の記憶している程度の時間であり、個人の記憶に追うところが大きいのである。したがって、現代人の常識で『伝統的』であると決めつけてはならない。過去の事柄や人々の発想を現代的な感覚だけで見てしまっては、本質的な部分を見誤ることになろう」(210〜211ページ)