我が九条特別編 九条稙通

室町末期から安土桃山時代九条流当主。魔術を修めたり、松永貞徳に「言葉遣いが田舎臭い」と嫌みをいったり、織田信長が上洛してきた時に「上洛めでたし」と立ったままいったり、豊臣秀吉の藤原姓獲得に反対したり、豊臣秀次の関白就任に「神罰が当たるぞ」といったり、いろいろ忙しそうな逸話のある人。幸田露伴によれば、婿が三好長慶の弟にあたる十河一存ということで戦場を往来したりしていただろう、とのこと。
九条稙通(父:九条尚経、母:三条西実隆女)
永正04(1507).01.11.生(1)
永正11(1514).08.27.元服正五位下、禁色昇殿(8)
永正11(1514).10.13.右近衛少将
永正11(1514).10.23.従四位上
永正11(1514).12.29.従三位
永正13(1516).08.06.正三位(10)
永正14(1517).09.09.従二位(11)
永正18(1521).04.09.権中納言(15)
大永02(1522).01.05.正二位(16)
大永02(1522).12.09.権大納言
大永04(1524).06.11.橘氏是定(18)
大永04(1524).12.29.左近衛大将
大永08(1528).08.20.内大臣(22)
天文02(1533).02.05.氏長者、一座牛車兵杖、関白(27)
天文03(1534).11.21.辞職、拝賀等依窮困難叶由(28)
天文10(1539).在国(35)
天文11(1540).在国(36)
天文12(1541).在国(37)
天文13(1542).在国、因州(播州カ)(38)
天文24(1553).12.08.出家、法名行空
ここで興味を引くのは「拝賀等、窮困に依り叶い難きの由」という関白辞任の事情である。よほど困窮していたのだろう。四年にわたる「在国」つまり地方への下向も含めて当時の公家の困難がうかがわれる。「在国」していた左大臣三条公頼大内義隆の滅亡の道連れとなって殺されている。自分の娘婿の武田晴信のところに「在国」すればよかったのに。