中世における天皇家の分裂

天皇制が順風満帆に進んできたわけではないのは、歴史を見れば一目瞭然だ。古代の天皇制は非常に不安定であった。その点平安時代中期以降は天皇制は安定する。幼児が天皇に即位しても、システム自体は何の問題もなく動くのだ。これこそレジームとしての天皇制は強固であることの証左である。
中世においては危機が三度あった。
一度目の危機は治承・寿永の内乱である。安徳天皇在位のころ、木曽義仲の攻撃に備えて平氏は西国に落ち延びることを決意、天皇治天の君を擁立して西国に落ち延びる、つもりであった。しかし治天の君の後白河が平氏の手を離れてしまったことから、思い掛けない天皇制の危機を迎えることになる。
後白河は安徳から異母弟の後鳥羽に皇位を移す宣言をする。三種の神器は安徳の手元にある。しかし治天の君の意向が三種の神器に優先するのだ。しかし平氏がそれを認めるわけもない。ここに安徳と後鳥羽という二人の天皇が並立する時代を迎える。
安徳と後鳥羽の二人天皇の期間は安徳を抱いて海中に飛び込んだ平時子平清盛正室)による無理心中という悲劇的な結末を迎える。