『諏訪大明神絵詞』の渡党

諏訪大明神絵詞』には三類の蝦夷が出てくる。鎌倉・室町時代の「蝦夷」の実態を示す史料として重宝されている。しかし思いの外利用は難しく、同じ史料を使ってもいろいろな見解が出てくる。
1 渡党は下北半島に住んでいる擦文文化人の末裔である本州プロトアイヌ集団である。
2 渡党は渡島半島に住んでいる擦文文化人の末裔である道南プロトアイヌ集団である。
3 渡党は鎌倉時代初頭に蝦夷地に渡った和人がアイヌ化したものである。
4 そもそも『諏訪大明神絵詞』は国家を守護した軍神の物語であり、正確な史料ではない。
私も基本的には4の立場に立つ。特に「日の本蝦夷」と「唐子蝦夷」の描写を見れば、それが何らかの実態を表しているようには思えない。しかし渡党の描写には骨嵬に通じるものがある。その点でやはり渡党の描写は何らかの民族的実態を反映したものとみるべきであろうと考える。
3に関して言えば、そういう人々もいただろうが、それが本質ではない、と考える。あくまでも副次的な部分であろう。
問題は2と1の対立点であるが、一言で言えば「両方とも正しい」もしくは「両方とも間違っている」というところであろう。本州プロトアイヌ集団と道南プロトアイヌ集団が別の集団であり、彼等が津軽海峡を行き交っていたことは事実だろうし、それは考古資料からもかなり裏付けられるようだ。問題はそのような実態を諏訪円忠や彼に情報をもたらした人々が認識していたか、である。ニブフとニクヴンが当事者同士では異なる集団と認識されていたにも関わらず、外部からはギリヤークと一括して表現されることもしばしばある。「渡党蝦夷」というのが基本的に他称である、と考えれば、この矛盾は解決される。つまり「渡党蝦夷」というのは、中世国家による道南と本州の双方のプロトアイヌ集団の表象なのである。