『諏訪大明神絵詞』の津軽安藤氏

諏訪大明神絵詞』の特徴は、管見の限りでは津軽安藤氏を安倍姓であると表記した最古の史料であるという点である。つまり鎌倉末期には津軽安藤氏は安倍姓を名乗る津軽土着の勢力だったのだ。しかし鎌倉末期に津軽土着の勢力と認識されていたことと、彼等が実際に土着の集団であったこととは別である。日本と蝦夷の二つの勢力の交易港管理者としては、夷狄と認識されていた安倍姓を名乗るのが都合がよかった、ということだろう。『地蔵菩薩霊験記』を見る限り、安藤五郎はどうみても鎌倉幕府得宗御内人で、津軽に派遣された人物にしか見えない。
一つの思いつき。すぐに撤回するかもしれない。
諏訪大明神絵詞』には安藤太という者を蝦夷管領にした、とある。安藤太とは安藤太郎だろう。太郎と五郎の仮名(けみょう)の違いは気になる。しかも鎌倉末期に起こる「蝦夷大乱」の当事者は安藤五郎三郎季久と安藤又太郎季長である。季久が勝ち、季久の子孫が太郎という仮名を名乗るようになる。五郎三郎という仮名は明らかに「五郎の三男」ということであろうから、五郎三郎季久は代々「五郎」を冠している蓋然性が高い。おそらく安藤五郎の子どもないし孫なのだろう。安倍姓の安藤太郎家を鎌倉幕府御内人の安藤五郎が乗っ取った、という推測は成り立たないだろうか。
ちなみに完全なる思いつきなので、明日には撤回しているかも知れない。