『能代市史』資料編中世1・2

新羅之記録』が収録されている、ということで買った。1・2合わせて8000円。安い、ということで速攻入手。
満済准后日記』もあった。訳がついているのはありがたいが、めちゃくちゃ。榎森氏の訳と同じミスをしている。榎森氏も協力者として名前を連ねているから、そもそも間違えたのが執筆者なのか、協力者のアドバイスなのか不明だが、いずれにせよめちゃくちゃだ。
もう一つ収穫は「湊文書」の「下国伊駒安倍姓之家譜」が収録されていたこと。下国家政の系図がある。見たいのはもちろん家政の孫の師季。

師季 安東八郎家政之嫡孫
茂別下国式部大輔孫、六月髪云清観。永録(ママ)五年六月廿三日、被攻落茂別之舘、於夷狄而退住松前。老後与嫡子式部大義絶被追出松前流浪行勢田内、遂没于彼所

「永正」の誤記説は成り立たない。複数の系図に「永禄」とあり、「永正」と書かれた系図が存在しない以上、下国師季が茂別館を失ったのは永禄五年、1563年のことだ。和人とアイヌの平和条約が成立しているから、という理由では永禄五年説を疑う根拠にはならない。普通は「平和条約」なるものの実在を疑う方が先だ。