「琉球之奉行」の実例

琉球奉行に関する史料。

琉球入貢、点検之事、大概一日諭其点検。(公)方様被恵彼者而頻々有往来則可乎。然則彼者以内点検入麁入細、以註文可献之。若此外有漏池(他、泄)之物、則堅可有御成敗之由、以証状可申(有カ)也。又其内有御用物、則可被召云々。懇々以伊勢守所申披露之。仍此旨伊勢守可命琉球之奉行飯尾大和守之由被仰出。仍達之。即伊勢守於殿中召飯大命之。明日可行此命云々。
『蔭涼軒日録』文正元年八月六日条

琉球からの「入貢」の点検について「内点検」すなわち琉球側での点検にしたいという琉球側の希望を足利義政が許可し、それを琉球奉行である飯尾元連に伝えた、という史料である。「琉球之奉行」という書き方でも分かるように、「奉行」は「担当」という程度の意味である。「幕府には琉球奉行が設置されて貿易の統制を行おうとしており、室町時代には琉球が「日本」として認識されていた」(ウィキペディアの「室町時代」)という記述はおかしい。