「琉球奉行」の事例

琉球使節の来日に関する室町幕府の記録。

琉球人参洛、当御代六ヶ度目、号長史。於御寝殿庭前三人懸御目、三拝申了ー庭鋪席。
一、女中衆御見物
一、御供東之御祗候
一、走衆六人、上土門南候了
一、進物料足一千貫、其外如先々
一、懸御目三人進物種々、自小侍所、元連、之種、為奉行執次之進上也。
『斎藤親基日記』文正元年七月廿八日条

飯尾元連と飯尾之種が「奉行として執り次ぎ、これを進上するなり」とある。
琉球使節の来日は、「当御代六ヶ度目」とあるから、足利義政将軍就任後二十年ほどで、六回ということは、三年から四年に一回。常設の職ではないだろう。
ここにおける対面儀礼は室町日本が琉球を格下にみなす「中華幻想」の存在を示しているが、室町日本が琉球を「日本」の内部とみなしていることを示さない。むしろ一連の行事は、琉球が異国であることを意味しているといえそうだ。特に「三拝」は、室町日本が明に対して行っていた儀礼と同じである。