語学力…

今語学力のなさで悩んでいる史料。

政所内評定記録(『室町幕府引付史料集成』)
寛正四年
四月十五日、内談
(中略)
一 武田被官与一色左京兆被官相論舟荷物事
於舟者盗物沽却云々。召上彼訴論人可被遂対決。至荷物者、彼船頭負物在之間押取云々。所詮、舟之荷船頭之計哉否、自余之津湊例相尋之、可依左右。 本ー清泉 合ー治河

前にあげたが、実は分からんことが多い。
四月十五日は武田氏と一色氏の被官が「舟荷物」のことで争っている、というのは分かる。で本文の一文目だが、「舟においては盗物を枯却と云々」つまり舟は盗んだものを売ったということだ、とでもなるだろうか。だが、この「舟」が何なのか、ということ。これは六月二十六日をみれば「大船」と「枝舟」という記載があり、「相論枝舟」と記載されているので、「舟」とは「枝舟」のことだな、と見当がつく。「彼の訴人論人を召し上げ、対決を遂げらるべし」というのは原告と被告を召喚して弁論させよ、ということであるが、どちらが原告でどちらが被告か、見ただけでは分からないこ。多分原告が武田被官で、被告が一色被官だろうと思われる。
次に「荷物に至りては、彼船頭負物これ在るの間、押し取ると云々」とあるので、事書の「舟荷物」は「舟と荷物」ということだな、と分かる。負物というのは負債。船頭に負債があったので、債権者が債権の回収に動いた、ということであろう。
それを踏まえて「所詮、舟の荷は船頭の計らいや否や、自余の津湊の例これを相尋ね、左右に依るべし」ということで「舟(おそらく大船である十三丸のこと)の荷物が船頭の裁量権の範囲かどうか、他の港湾の例を調べてから考える、ということで、いわば判例を参照しようということであろう。

四月廿六日、内談
(中略)
一 武田○〈被官〉与一色左京兆被官若州小浜住人等売買船相論事
売主有現在者、不日被召上、可有糺決云々。 本奉ー清泉 合ー治河

武田被官と一色被官である小浜住人の売買した船(枝舟)の相論についてだが、「売主現在有らば、不日召し上げ、糺決あるべしと云々」つまり売主が小浜にいるのであれば、召喚して審理せよ、ということである。

六月二十六日、内談
(中略)
一 武田被官与一色左京兆被官申舟荷物事
十三丸〈大船、〉事者、重格別之上者、於小浜立請人、先被返渡、相論枝舟事者、仰豊前守護、可被召上売主。 本ー清泉 合ー治河

判決。「十三丸のことは、重ねて格別の上は、小浜において請人を立て、まず返し渡され、相論の枝舟の事は、豊前守護(大内教弘)に仰せて、売主を召し上ぐべし」ということで、十三丸も担保として差し押さえられていたのであろう。枝舟の売主は現在豊前国にいるので、召喚を豊前守護である大内教弘に命じた、というこちであろう。
で、わからないことだらけ。結局十三丸は現在どちらの管理下にあるのか、十三丸はどこの船なのか、枝舟が盗物である、という主張は何を意味しているのか、とか。もう少し考えよう。