再論『建内記』応永三十五年正月十七日条

国家鮟鱇氏の記事「将軍のお尻 - 国家鮟鱇」を承けて。
まずは国家鮟鱇氏、本郷和人氏、私の三者で話題になっている足利義持の尻にできたできものについて。
建内記』応永三十五年正月十七日条には以下のように記述されている。

御雑熱自七日成痛、十日比三位房允能法師拝見、為馬蹄之由申之。而奉療治之処、以外也。一昨日久阿弥拝見之処為疽、已腐入之由申之、不可及療治之由申之云々。

この部分に関する国家鮟鱇氏の解釈に異論がある。国家鮟鱇氏は「馬蹄」と「非殊事」を同じとしていらっしゃり、また「以外」を人命に関わるようなものではない、と解釈していらっしゃるが、「以外(以ての外)」は「予想を超えて程度が甚だしいこと」の意であり、人命に関わることをここでは意味しているのである。従って「而奉療治之処、以外也」は「治療したところ、重篤だった」と解されるべきである。
次に「非殊事」だが、この記事は応永三十五年正月七日条の『満済准后日記』であり、この段階では「室町殿御座下御雑熱出来云々。今日於風爐カキヤフラル〃間、御傷在之云々。但非殊事云々」という状態であって、「馬蹄」になったのは「十日比(十日ごろ)」である。実際には九日に医師が診断しており、そこでは「又御雑熱モ又御傷モ興盛云々」と傷が悪化していることが示されている。ただ「但両条更無苦見安平事共也」と続いているので、まだ楽観的だったこともうかがえる。
十日には医師が引き続き診察したようであって、「今日ハ僧俗室町殿へ参賀日也。雖爾依御雑熱御安座難叶間、被延引了」とあるように状態は悪い。十一日には「御傷以外也。是程トハ門跡(満済)ニモ不可有存知云々」と相当重篤であることの報告が満済のところにもたらされているのである。
これらのことから見て「馬蹄」=「非殊事」という解釈は成り立たないと考えるが、いかがだろう。