『満済准后日記』応永三十五年正月九日条

国家鮟鱇氏「以外也 - 国家鮟鱇」への返答。国家鮟鱇氏及びリンク先の池田淳氏の史料解釈「昔の人の死 (2008-08-06)」に疑問があるので、今回は焦点となっている部分を検討。

自医師三位方申。自夜前御所様聊御風気。又御雑熱モ又御傷モ興盛云々。但両条更無苦安平事共也云々。珍重々々。

両氏とも「興盛」の解釈を誤っている。これは「思う」や「考える」ではなく、ほぼ断定できる。「興盛」の室町時代における意味は「手がつけられないほどの状態になること」(『時代別国語大辞典』)であり、用例として「今春又疫病興盛、万人死去云々」(『看聞日記』応永二十八年二月十八日条)「土一揆興盛」(『実隆公記』文明十七年八月十二日条)が挙げられている。従ってここは「傷も腫瘍も手が付けられない状態である」と解釈されなければならない。しかもこのように解釈しなければ、「但」以下がつながらない。
もう一つ、『建内記』の「十日比」を『満済准后日記』の七日に比定する国家鮟鱇氏の解釈にも従い難い。「十日比」に医師が派遣された、とある以上、『満済准后日記』において医師派遣の記事のある九日条もしくは十日条に比定すべきである。
ちなみに「以外」は「程度が常軌を逸している」(『時代別国語大辞典』)であり、「予想を超えて」というところに力点を置いている国家鮟鱇氏の解釈も受け入れ難い。「 馬蹄だと診断された。そこで治療したが、状態が甚だしく悪化していた」と解釈すべきであろう。