「盛季系下国家」について

関根達人編『松前の墓石から見た近世日本』(北海道出版企画センター、2012年)に次のような記述がある。

(下国家は)18世紀後半に途絶えてしまったため、それ以後には墓石は建てられていない。(110ページ)

これについては注釈が必要である。この項目の最初に「下国家は盛季系下国家ともいい」とある。盛季と言えば、室町時代初頭の下国盛季を連想するが、盛季の子孫は15世紀末には途絶える。ここでの「盛季」は江戸時代の直季の子の下国式部盛季のことである。盛季の兄の由季は早世し、慶季が下国本家を継ぐ。分家の下国式部家は養子の高季−季昭−季明−季正−季亮−季芳−季邸−季盈と続いて途絶える。
寿要寺第1ゾーンにおける下国家墓所について、本文中では「下国新五兵衛妹」を祀った明和3年銘の墓石に言及されているが、新五兵衛の通称を持つのは季明と季芳で、明和3(1766)年ということから見ると、季芳のことであろう。