ラッコの初出について

ラッコがいつ日本の史料に登場するのか、という問題であるが、現在私は15世紀の『後鑑』所収(つまりは「大館記」所収)の「安藤陸奥守宛室町殿御内書」である、という見解に賛成である。「アンジェリス第二報告書」には「ラッコの皮はイェゾには産せず、イェゾ人たちがその国土付近の島々に行って買い求める」と記されている。北海道には商品として流通するほどのラッコの資源量は当時からなかったことがうかがえる。ラッコの皮が日本に流通する条件としては、ラッコの産地であるエトロフ以北にエトロフ以南の北海道アイヌと交易を行う集団がいること、北海道アイヌと日本との関係が安定することが挙げられよう。特に日本史料に出現する条件として重要なのがアイヌと日本との安定した関係である。
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