対訳『椿葉記』4

さて春宮は廃せられて、光厳院第二宮、同八月十七日践祚あり。父の御譲にもあらず、武将のはからひとして申をこなふ。此宮は、妙法院の門跡へ入室あるへきにさため申さる〃ところに、不慮の聖運をひらかせ給て、御子孫まで継体四代に及へり。

春宮-直仁親王
光厳院第二宮-弥仁王。崇光院の同母の弟。実際には三宮だった。後光厳院のこと。
父の御譲にもあらず-おっと、後光厳院流の悪口はそこまでだ。治天の君からの譲国の儀のこと。三種の神器を持たずに即位した例として、祖父の「御譲」を受けた後鳥羽の例があるが、後光厳院はそれすら出来なかったことをあげつらっている。
武将-等持院と註あり。足利尊氏のこと。
四代に及へり-後光厳、後円融、後小松、称光。

さて春宮は廃せられ(連行されたので)、光厳院第二宮、同八月十七日に践祚された。父院の譲りでもなく、足利尊氏の取り計らいとして行った。この宮は妙法院の門跡に入るはずであったが、不慮の聖運をお開きになって、御子孫まで天皇の位を継承すること四代に及んだ。