対訳『椿葉記』5

さて延文二年二月十八日上皇は伏見の離宮に還幸なる。閑素にてまします。両法皇、先坊もみな還御なる。抑長講堂領・法金剛院領・熱田社領・同別納・播磨国衙・同別納等は、後深草院以来正統につたはる。然は法皇の御譲を受て上皇管領あり。御堂御領知行する諸家みなこの院に奉公する。

法皇-光厳院と光明院
上皇-崇光院
先坊-直仁親王
長講堂領-持明院統の所領。だから後深草院以来と出てくる。
正統-おっと、後光厳院流に対する悪口はそこまでだ。

さて延文二年二月十八日上皇は伏見の離宮に還幸された。閑素であった。両法皇、皇太子もお帰りになった。長講堂領、法金剛院領、熱田社領、同別納、播磨国衙、同別納等は、後深草院以来の正統に伝わる。だから光厳法皇より崇光上皇が管理なさっていた。長講堂領を知行する諸家はみな崇光院に伺候した。