昔御内書符案

太刀一腰馬一疋栗毛・轡十口・染革十枚・鳥目万疋到来了。神妙候。太刀一腰・香合・盆遣之候也。
永享三年二月廿三日
小笠原治部大輔殿

小笠原政康宛。永享の乱結城合戦で義教方として活躍。村上政儀の渡道にも関係があると私は睨んでいる。

筑前国事、為料国之処、致狼藉輩在之云々。然者令談合大内さ京大夫入道、属無為候様可有沙汰、巨細友雲和尚妙裔西堂可被申候也
永享三
二月廿五日
中務大輔殿

宛先は渋川満直と思っていたが、間違い。大友持直。持直は少弐氏と組んで大内氏と抗争していた。
筑前国を直轄国とし、代官に大内左京大夫(盛見)を任命したが、それに反発する少弐氏と大友氏に対し、大友の切り崩しを図った御内書。その甲斐なく盛見は大友・少弐連合によって戦死する。