干鮭(カラサケ)の論文を書くことに決めた

今書いている科研費報告書の論文で近衛政家の日記を見直す必要があってブログに久しぶりにアクセスしたら、次のようなコメントがunko氏によって付されていた。

疋は貨幣単位。例えば鎌倉時代だと1疋が30文。干鮭のことを「カラサケ」などとは言わない。そもそも「干」に「から」などという読みはない。ここは「唐の酒」と読むのが自然。無知を自分の思い込みでカバーしても正しい答えは出ないぞ。

この短い文章にこれだけのツッコミどころを詰め込むのも何かの才能であろうが、このような議論まがいがネット上にあふれているのも事実であって、ネット時代における知性の崩壊状況を如実に示す好例であるのでここで取り上げることとした。
漢和辞典を引けば「疋」と「匹」は互換性があることがわかる。「疋」の用例は貨幣単位だけでないことも分かる。つまりunko氏は漢和辞典を引くことに思いが至らなかったのである。
干鮭の訓みが「カラサケ」であることを知らないのも大概だが、それを説明するのに「干」に「から」という読みはない、と大見得を切っている段階で、氏は熟字訓を知らない可能性が極めて高い。熟字訓の存在を知って入れば「干鮭」に「カラサケ」という読みはない、という論難になったはずだからである。「七」に「たな」という読みはないし、「果」に「くだ」の読みはない、と主張する人に何をどこから説明すればいいのだろうか。
また酒を貨幣単位に換算して計量する風習はunko氏以外の人はするのだろうか。例えば「生中350円」と注文するのだろうか。普通は「生中1」だろうと思うのだが。史料に帰れば、近衛政家にとって鮭の貨幣価値は問題ではない。父の房嗣が持ってきた「カラサケ」数量が問題なのである。これが普通の読み方だと思うのだが、もしかしたら酒を扱う人は違う考えを持つのかもしれない。
そして問題はここまで物を知らないのに他人を「無知」と断じ、自説の「唐酒」にこだわる人を目の当たりにして私が決意したのは、近衛政家がワインを飲んだ、という妄説をしっかり潰すことである。まずは学界で問題提起をし、査読論文を通じて学界の共通認識にすることが必要である。その上でキリンとサントリーに訂正を申し入れる。ソムリエ協会にも申し入れる必要があるだろう。近衛政家がワインを飲んだ、という妄説の息の根を止める。