2008-12-24から1日間の記事一覧

『碧山日録』寛正二年二月三十日条

住居を失うことは、基本的な生存条件を奪われることである。寛正の大飢饉の原因の一つは河内から大量の流民が京都に流れ込んできたことにある。京都は「有徳」の者の集まるところであり、そこにいけば何らかの「徳」が期待できるからである。実際最大の「有…

『碧山日録』寛正二年二月六日条

引き続き『碧山日録』。寛正の大飢饉に際しての室町幕府の対応をみてみる。 本文 六日、丁丑、流民之茇舎成矣、願阿命其徒、病民之不能起、俾竹輿乗之、其群聚、不可勝紀也、先烹粟粥食之、蓋飢者喫飯則倒死、故勧粥也、此賑済、以是月為限云。 読み下し 六…