『看聞日記』の「唐酒」

こちらは「カラサケ」ではなく「唐酒」なので酒そのものだろう。永享7(1435)年正月二十八日条。足利義教邸での酒宴。

肴物美麗点心魚鳥唐物等飽満。初三献之時唐酒被出。気味如砂糖其色殊黒。

ということで詳しくは知らないが紹興酒のようなものか。

『蔭涼軒日録』の「南蕃酒」

文正元年八月一日条

琉球国使芥隠西堂(破了)
大軸并南蕃酒小樽忽賞之。其風味与我方(破了)

ということで、南蕃=南蛮=西洋=ワインというのはあまりにも単純すぎる。室町時代の南蛮とは東南アジアのことであり、琉球を介して関係が存在した。東南アジアを介して入ってくる酒のことであり、残りが読めないのでどんな酒だったかは分からないので、ワインの可能性を否定できないが、ワインであるとも言えない。ちなみに筆者の季瓊真蘂は文正の政変で失脚するので『蔭涼軒日録』は九月五日で終わる。