バイリンガルって・・・

一般論として、私は英語の早期教育には反対である。バイリンガルを作る、とかで、子どものころからインターナショナルスクールに行かせる芸能人がいるのだが、自分の子どもをどう育てたいのだ?それがわからないのだ。
子どもをバイリンガルに育てようという考え方は、言語に関する考え方が根本的に誤っているのではないか、と思うのだ。言語をコミュニケーションの手段としてしか捉えていないのではないか。言語はコミュニケーションの手段であるのは事実である。しかしそれだけではない。言語があって始めて思考があるのであって、思考があって、それを言語化するのではないのだ。言語とは第一に思考そのものなのだ。したがって思考そのものである母語を確立する必要がある。母語がしっかりとマスターできた後にコミュニケーションの手段としての外国語をマスターすればいいのだ。外国語と母語を混同してはいけない。
私がそのように思うのは自身の体験が関連している。私はかつても書いたが、海外帰国子女である。小学校二年から四年までの三年弱アメリカにいた。なぜか日本人学校には入らず、現地の小学校に放り込まれた。しかしアメリカに長期滞在する予定はなかった。あくまでも一時的な赴任だったので、赴任期間が終われば当然日本に帰国するのである。したがって私たち兄弟は基本的に日本語で育てられた。学校では英語だが、家では完全に日本語。だから日本に帰国後も言語で困ることは全くなかった。ただ数年で完全に英語を話せなくなるのは想定の範囲外だったが。
これが永住するつもりであれば、戦略は異なる。家でも英語で話をする。そうすると子どもは完全に英語中心になる。父親の勤務先の社長は日本人で、家族も日本人だったが、永住するつもりだったのか、家では英語を話していた。子どもが三人いたが、上の二人はかなり大きかったので日本語はぺらぺらだったが、一番下の男の子は私より一年年下だったので、日本語が固まる前に英語主体で育てられた。だからそのころすでに日本語は怪しかった。十年後再開したが、向こうは日本語を忘れ、こちらは英語を忘れ、話ができなかった。
英語を母語にするか、日本語を母語にするか、という選択の違いだが、双方を母語にする、という都合の好いことはできるのだろうか。その子は何語で思考を行なうのだろうか。
ということを思ったのは、塾生にバイリンガルで育てているので、日本語のヒアリングが少し拙い、というのが入ってきたことがきっかけである。いや、困るんすけど、実は。配慮してくれ、と言われれば、こちらは「配慮します」としか言い様がない。向こうはお客様だしな。しかし他の子どもが分かっていることも、丁寧に言ってやらねばならない、ということになると、その子だけ特別扱いする、ということで、他の子どもからのクレームにつながりかねないし。さじ加減が難しいのだ。
ただその子は父親が外国人で、将来父親の祖国でも活躍できる道を作ろう、という見通しがあるので、まあ理解できないではないのだが。ちなみに父親も日本語がぺらぺらである。普通日本語の上手い外国人はなまりがあって分かる。極端な話、宇多田ヒカルはどう聞いても「日本語の上手いニューヨーカー」だ。しかしその父親はどう聞いても「日本人」だ。しかし外国人なのだ。だから自らの母国と日本の両国で活躍できる道を作る、というのは非常に分かりやすい話だ。
私が今危惧しているのは、両親とも日本人で、日本で今後も活躍しようというタレントの子どもがなぜインターナショナルスクールに通うのかわからない、ということだ。そしてそれに引きずられるように、インターナショナルスクールがブームになっている状況に、疑問を感じる。というよりも、木村拓哉氏と工藤静香氏の子どもや安室奈美恵氏とSAM氏の子どもをインターナショナルスクールに通わせる意図は何だ?それを「教育熱心」として好感度が上がったりするのも別にいいけど、その真似をして目的意識もなく子どもをインターナショナルスクールに通わせるのはどうか、と思う。
まして、公教育で英語の早期教育を行なうのはもっとどうかと思うのだ。