物語文

物語文とは何か。意外と難しいのだ。普通の小説だけではない。伝記も物語文だ。自伝も多くは物語のジャンルになる。随筆文が難しい。たとえば大平光代氏の『だからあなたも生き抜いて』にしても場所によっては物語文の手法で解かなければならない。場所によっては随筆文の解き方が必要だ。ポイントはせりふ。複数の登場人物のやりとりがメインのシーンでは物語文の手法で解くのが早い。逆にフィクションでも随筆の手法がのぞましいものもある。
物語文のポイントは三つ。場面・心情・主題。
場面から。場面とは「いつ」「どこで」「だれが」の要素からなる。したがって「いつ」「どこで」を示す言葉が出れば、そこで場面転換が行なわれている。さらに「だれが」つまり登場人物の変動は場面転換につながる。登場人物の登場、退場などだ。さらに「いつ」を押さえ、「どこで」を押さえ、「だれが」の詳しい内容を押さえる必要がある。特に人物描写についてはいろいろ細かい押さえ方のツボがある。詳しくは入塾して下さい(笑)。
心情。一番悩むのがそこだろう。人間の心情は無限である。だからどのように思おうが読んだ人の自由、と思われるだろう。文学鑑賞の上では正しいのかも知れない。しかしそれでは点数は稼げない。私自身高校時代同じように思っていた。予備校の講師に「文句を言っているだけでは上達しない」と一喝された。点を取るためには豊かな精神を捨てよう。
物語における心情の動きは基本的に「事件→心情→行動」である。したがって本文中からある行動をとり出せば、それに対応する心情が読み取れるはずだ。物語の約束事として行動は特定の心情によって導き出されるものなのだ。もちろん現実はそんなに単純ではない。しかし受験国語では対応関係が成立しているのだ。その対応関係を押さえれば、行動から自然と心情が読み取れる。事件から心情を問う問題もある。これも特定の対応関係が成立している。もちろん現実はもっと複雑で豊穰だ。しかし受験国語ではある特定の事件には特定の心情を持たなければならない。それが「道徳」だ。だから学校教育が「押し付ける」道徳を押さえれば、おのずと事件と心情の対応関係も理解できるのだ。心情の原因をきく問題もある。基本は対応関係を押さえること。それだけ。細かい対応関係は塾で。
主題。小学国語で教えられる「道徳」に対応していることが圧倒的に多い。だからまずそれを押さえる必要がある。石原千秋氏によれば「他者と出会おう」「自然に帰ろう」ということだそうだ。私の経験から言ってもほぼそうだ。それを知るだけでずいぶん違う。その「主題」に近いものを解答に含めれば大体安心だ。それから大きく逸脱する問題は出ない。特に物語文では「他者と出会おう」が中心になる。他者と出会うことによって「成長」を遂げるのだ。その意味ではこれも石原氏の見解だが、基本は「成長の物語」が基調となる。
以上のことを念頭においてもう一度テストを見直して見よう。解説文なども「なるほど」と思えるはずだ。
最後に自由記述の罠。「あなたは作品中のこの登場人物の行動をどう思いますか」というのがある。自由に書けばいい、はずはない。小学国語の「道徳」に沿わない解答は全てだめ。自由記述といいながら、実は強烈な思想調査である。こういうところでぼろを出してはいけない。学校が求める「道徳」を見抜き、それに沿った内容を書くべきである。学校ごとの個性もあるから、そこのところはしっかりと学校の理念などをチェックしよう。