評論文

評論文の記述問題を生徒に解かせた時、やりがちな失敗がある。自分の意見をまぜこむのだ。「どこにそんなことが書いてある?」と聞くと、まず本文を読み直す。読み直してもないのだ。それで「ああ」とため息を漏らす。あるわけがないことに気付いたのだ。こういうミスは優秀な子どもに多い。私が最初にやるのは、そういう癖の矯正だ。
こういう子どもは何が出来ていないから、そういうミスをするのか、と言えば、自分の意見と他人の意見をきっちり区別する、ということが出来ていないからだ。だから他人の主張に自分の意見をまぜこんでしまう。自分の意見を表明するためにはそもそも他人の意見をしっかりと読みとり、その意見に自分の意見を対置するという作業が不可欠なのだ。他人の意見を読み取り、自分の意見を対置させて記述するリテラシー能力がそもそも欠けている。リテラシー能力が欠けた子どもに無理に意見表明をさせるから、他人の意見と自分の意見の未分化なわけのわからない「解答」が出てくるのだ。
さらに他人の意見を正確に読み取り、それを批評する前提に要求される能力が、意見と事実の読み分けである。ある意見がどのような根拠に基づいて論じられているのか、を押さえることはリテラシーの基本である。評論文の問題で試されているのは、ある意見がどのような根拠によって述べられているのかを押さえる能力である。だから評論文対策としては意見と事実を読み分けることが必要だ。
評論文は大きく分けると三種類になる。随筆文・論説文・説明文である。意見と根拠の割りあいによって分類される。随筆文は自分の意見が主で、根拠は基本的に主観的・感覚的なもの。論説文は意見の根拠となる事実を押さえた上で、そこに論理的展開が必要なもの。説明文は意見よりも事実を述べることに主眼があるものだ。中には解説文というジャンルを分けている参考書もあるが、その参考書自体「説明文と解説文の区別ははっきりしていません」とか宣っている。それならば分けなければいいのに、と思うのは私だけだろうか。次回以降随筆文・論説文・説明文の受験術を解説する。