作文

「自由記述」の字面にだまされてはいけない。全く「自由」ではない。作文も同じだ。そもそも作文と受験国語とは異なる範疇に属する。学校の国語は「読解」「表現」などから成っているのだろうが、受験国語で問われるのは、読解能力だ。そしてそれを自分の意見を極力交えずに(ニュートラルというのはそういう意味)、字面のままに記述する。そういう能力が試されている。それによって涵養できるのは、自分と他人の意見の弁別だ。案外難しいことで、「剽窃(パクリ)」が出現するのは、自分と他人の意見が分けられていないからだ。もちろん意図的なパクリもある。しかし卒論やレポートで見られるパクリは自分の意見と他人の意見を弁別できていないところから発生する。やっている大学生に悪気はないのだ。しかしこれで卒論を書くと、最悪不合格となる。一見しょうもないことをやっているように見えるが、意外と大事なことなのだ。
一方表現力は作文で見る。しかしこの作文がくせ者だ。たとえば学校で運動会があった。その作文を書かされた、としよう。作文に「運動会はつまらなかった」と書いてOKだろうか。私はOKだと思うが、多分多くの先生方はいやがるのではないだろうか。学校行事に抵抗する態度は、学校の立場としてはほめられたことではないだろう。
入試の作文で、鳥を見せて「思ったことを書きなさい」という問題がある。これに対し「焼き鳥が食べたい」と書けば、やはりやばいだろう。私も入試という場で、これを書く根性はない。飯盒炊さんらしい写真がある。これを見て「思ったことを書きなさい」。和歌山カレー事件についての考察を行なう。やはり入試ではやる根性はない。
どう書くべきなのか。鳥の場合、「大空に飛ぶ鳥のように自由な精神を持って勉強の取り組んでいきたい」という趣旨しか書きようがないだろう。既に「自由な精神」など捨てて「自由な精神」と宣う二枚舌ぶり、というか偽善者ぶり。カレーの場合は死刑制度の是非、なわけはなく、自分の体験、たとえば林間学習で自分は何を学び、どう成長できたか、を書く。うーん、完璧だ。全く自由ではないぞ。林間学習で友人とやったアホなことを書いてもいい。いい想い出、という形で演出できるからだ。もちろんいやな教師の食事に下剤を入れた渡辺恒雄氏のようなことを書いてはいけないし、まして向精神薬を豚汁に入れた体験を書いてもいけない。あくまで学校の価値観と親和性を持った内容である必要がある。学校の価値観とは「他者との出会いを通じた内面的な成長」である。
個人的な意見を言えば、作文を通じて涵養されるべき能力とは、そういう「内面」ではなく、自分の意見をどれだけしっかりと表明できるか、という能力ではないだろうか。